日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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皇紀2600年に作られた宮崎、八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)の内部公開!中を見てきたよ!

 

八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)
の内部を見てきました!!

天孫降臨の地・宮崎にある
八紘之基柱=八紘一宇の搭=平和の搭)

宮崎市にある八紘之基柱(あめつちのもとはしら)。八紘一宇の搭、平和の搭とも言います。
塔の正面に「八紘一宇」の文字が刻まれているこの搭は、皇紀2600年(1940年=昭和15年)に建てられた石の搭です。
高さは36・4メートルで、石塔としては当時日本一でした。

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おっさんは毎年1回は、宮崎に行きこの塔を見に行っていますが、
2022年(令和4年)10月23日(日)午前10時に、この塔の内部が公開されるということで
行ってきました。
なお、塔の内部は宮崎県が管理していて中が公開されるのは年に数回しかなく貴重なのでここはハズさず参加です。

 

八紘之基に関しての詳細は下をクリックしてどうぞ!


(銅製の扉は神武天皇の船出)

八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)は、普段は門で閉められていて中に入ることは出来ません。

この門は銅製で、大分の彫刻家、日名子実三が作ったレリーフが刻まれています。
ちなみにこの塔を設計したのも日名子実三です。

扉の上の部分には三種の神器天叢雲剣八咫鏡、曲玉が刻まれています。
三種の神器天皇家が代々継承してきたものです。

その下の扉は、神話の神武天皇の美々津からの船出の様子です。船は宮崎県西都原から出土した船形埴輪がモデルです。

扉に刻まれた神武天皇の美々津の船出ついては下をクリックして御覧下さい。

なお、同じく皇紀2600年の4月15日には、宮崎美々津から大阪中之島までの神武天皇の船出を当時の船を再現し出航しています。
下は当時の模様を撮影した写真です。
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(中に入ります)

午前10時、宮崎県の方が扉を開けてくれました。

 

内部は、制作した日名子実三が「厳室(いつむろ)」と呼び、ここは「八紘一宇の塊というべき部屋である」と語っています。

厳室のまっ正面には、木で作った奉安庫があります。
この奉安庫の中には、昭和天皇の弟の秩父宮が書いた「八紘一宇」の文字がおさめられていました。戦後、それは宮崎神宮に移されたそうです。


(8個の「石膏で出来たレリーフ」)

この厳室の中には塔が建てられた頃の時代背景がわかる貴重な石膏のレリーフが8個
あります。これも、日名子実三の作品です。

なお、レリーフの大きさは、たて2メートル横2メートルの正方形と、たて4メートル
横2メートルの長方形の2種類があります。

では、8個のレリーフを順番に見ていきましょう。設置場所は番号をふっています。

南米大陸の図
南米大陸は、ブラジル、ペルーなどに多くの日本人が移民として渡っています。
レリーフには、移民船も描かれています。

②大東亜の図

日本を中心にしたアジアが描かれ、四角には日本の戦闘機や軍艦が描かれています。

 

③国土奉還

出雲の国を開いた大国主命(おおくにぬしのみこと)が高天原天照大神の名に従い
國を譲る「出雲神話」の様子です。

 

天孫降臨

中央にいる子供は、天照大神の孫・ニニギノミコトが高千穂に降りるときに、猿田彦が道を塞いでいたので、アメノウズメノミコトがなまめかしく問う場面です。
天孫降臨は、戦前の小学校の日本史=国史では必ず教えられていました。
そのため、このレリーフはたて4メートル横2メートルの長方形で大きな物です。

 

⑤波限の産屋(なぎさのうぶや)

神武天皇のお父さん・ウガヤフキアエズノミコトの誕生の場面です。
兄の釣り針を亡くした山幸彦は海神から釣り針を返してもらい、豊玉姫を妻にもらいます。妻が「出産を見ないで」というのに見てしまい、妻は怒ってしまい海に戻ってしまいます。その妹の玉依姫(たまよりひめ)がその赤ちゃんを育て、のちにその子と玉依姫が結婚し、神武天皇が生まれます。(ここは、ややこしいので紙に家系図を書いて下さい)

 

明治維新

再び天皇中心の国家となった明治維新
政治の実権を握った天皇が皇居を京都から江戸へと遷都し、江戸城の新皇居に入る様子です。
神輿の右上には富士山が見えます。

 

⑦萬邦平和

満洲を舞台に描いたもので、右手に鏡を持った女神が日本人の子供と手をつなぎ、
その子が中国人、満洲人とも手をつないで、いわゆる日満支友好のを描いています。
この女神の脇には爆撃機、頭上には突撃する兵士、下には満州鉄道の亜細亜号、そして車が描かれています。(うつりが悪くてすみません)

 

⑧紀元元年

神武天皇の即位を表現しています。日本の国のはじまりということです。

 

1940年(昭和15年)、皇紀2600年にあたるこの年は日本中でお祝いが行われました。


その1つとして天孫降臨の地・宮崎市に当時日本で1番髙い石の塔=八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)が建てられました。

 

 【おっさんが今回参考にした素晴らしいデータブックはここ!!】

八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)に関しては、この本が凄く詳しいです。
塔の礎石の1つ1つを丁寧に調べ上げ、どこの誰が送ったか、どんな団体が送ったかを詳細に調べ上げた完全データブックです。お勧めです!!

 

 


<<八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)への行き方>>
車が便利です(駐車場有り)
住所:宮崎市北方町

 

めったに見ることができない 
八紘之基柱(八紘一宇の搭=平和の搭)の内部。

そこには、この塔が出来た当時の情勢を伝えるレリーフ
ありました。