日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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12月31日 朝鮮戦争の対岸にある小倉に、日本初のR&Rセンターが設置。周囲では日本人女性による「慰安」が盛んに・・

1950年(昭和25年)朝鮮戦争が始まり、
米軍は、日本に、連合国軍の兵士の休養施設である
R&Rセンター(RRC)を設置しました。

その第1号が朝鮮半島と距離的に近い
福岡県北九州市の小倉でした。
その周辺では米兵に対し日本人女性の性の提供、
いわゆる「慰安」が行われていました。

(R&Rセンターは3カ所に設置)
1945年(昭和20年)8月15日、日本は太平洋戦争に敗れ史上初の外国の占領下となりました。

その5年後の1950年(昭和25年)6月25日、北朝鮮軍が突如南下をはじめ朝鮮戦争が勃発します。

地理的な条件から日本は朝鮮半島への出撃基地、物資の輸送などの点で重要な拠点と
なります。と同時に連合軍兵士の性処理の場にもなっていきます。
朝鮮半島での北朝鮮軍と米軍との戦いは熾烈を極めたため、激闘を繰り広げる米兵への慰問の一環として、米軍は帰休制度を設けます。
この制度では、朝鮮戦争の前線で戦う米兵が、5日間の休養(のちに1週間に延期)を与えられ、日本に戻ります。そして日本での休養施設としてRRセンターが設けられました。Rest& Recreation Centerです。
R&Rセンターは、日米両国の行政協定によって作られたもので、当初は横浜、大阪、小倉の3か所がありました。
このRRセンターの周辺では、米兵のための性的サービス産業が、盛んに、かつ大規模に行われ、多くの日本人女性が「米兵相手の慰安婦」として提供されていました。

最初にできたR&Rセンターが、福岡県北九州市小倉で、1950年(昭和25年)12月31日設立。
翌年の1月に横浜、2月に大阪に設立されました。
(小倉のRRセンター)
敗戦の年の10月下旬、米軍が小倉に進駐し、現在、図書館がある陸軍造兵廠本館跡地に司令部を置きます。

小倉は朝鮮半島に距離的に1番近いために、RRセンター地に選ばれ、R&Rセンターは米軍小倉基地・キャンプ・コクラ内に置かれました。

R&Rセンターは現在の小倉城から勝山公園付近に広がる一帯にあり、ここには宿泊施設、シャワー室、売店などがあったそうです。

朝鮮戦争勃発半年後の12月31日には、帰休兵たちがRRセンターで楽しんでいます。

1953年(昭和28年)9月18日、キャンプ・コクラが、手狭になったため、同じ小倉のキャンプ城野に移転しています。

小倉のR&Rセンターは、大人気で、開設から3年もたたないうちに、利用者が15万人を越えます。
(繁栄)
朝鮮半島からもどり長期の休暇を与えられた帰休兵の多くは、R&Rセンター周辺ので飲食や慰安に多額のドルを落とします。

1953年(昭和28年)2月には、小倉署が、兵士相手の女性が3000人いると発表しています。

輪タクとよばれる自転車タクシーが、米兵士達の交通手段及び斡旋業者として大活躍します。
小倉を流れる紫川にかかる常磐橋には夜の女が兵士を待ち、たもとには、それを運ぶ輪タクが待機していました。

こうしてR&Rセンター周辺は大歓楽街となっていました。


(移転)
米兵でにぎわい「パラダイスコクラ」と呼ばれたR&Rセンターは、風紀上また治安的にもよろしくないという意見があいつぎ1954年(昭和29年)3月13日の受け入れを持って

終了し、福岡市西戸崎へ移設します。

移転先の西戸崎では3月15日に関係者300人が出席し開所式が行われますが、朝鮮戦争が1953年(昭和28年)7月27日に停戦となり、朝鮮半島からの国連軍兵士の撤退も進み、この西戸崎のセンターも同年12月に開所からわずか9ヶ月で閉鎖となりました。

小倉は朝鮮戦争の4年間で当時のお金として4~5億円の純利益を上げたと言われています。

(その後)
R&Rセンターは、小倉、横浜、大阪の3箇所に設置されましたが、小倉は1954年(昭和29年)3月に福岡市へ、大阪は1952年(昭和27年)5月奈良にその後1953年(昭和28年)9月に神戸へと移転しました。

・・ということで12月31日は、
小倉にR&Rセンターが設置された日です 
その跡地は今は公園になり
ここにR&Rセンターがあった事を
知る人も少なくなりました。