日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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7月13日 奇跡のヤシの実!戦地フィリピンから流され、31年の時を超え、故郷島根の妻に届いたヤシの実

 

太平洋戦争中、
フィリピンのマニラから流されたヤシの実が、
31年後、兵士の故郷・島根へ流れつき、
妻の元に届きます!!
奇跡のヤシの実です!

 

※この話は1975年(昭和50年)7月に、おっさんが小学性の時に、新聞記事で見て、
驚いたとともに凄く印象に残りました、
そして、その後、靖国神社でそのヤシの実を実際に見て感激というか感動しました。
こんなドラマみたいなことが実際に起きるんだなあ・・と思いました。
・・・ということで7月13日にたどり着いた奇跡のヤシの実のお話を紹介します。

島崎藤村の名曲・ヤシの実)

みなさんは、「ヤシの実」という歌をご存じですか?
歌人島崎藤村が明治時代に柳田国男から、渥美半島恋路ヶ浜で流れ着いたヤシの実の話を聞き、それをもとに歌詞を作りました。

著作権の都合上、ここに歌詞は書けませんが、南の島から流れ着いたヤシの実の歌です。
1936年(昭和11年)12月に東海林太郎の歌唱でレコード発売されました。

このヤシの実の歌のような奇跡が1975年(昭和50年)7月13日に起きました。

 

島根県に流れ着いたヤシの実)

1975年(昭和50年)7月13日、島根県出雲市大社町の港で釣りをしていた男性が、
海面に漂っている椰子の実を見つけます。
日本海側の島根の海に南方のヤシの実が流れ着いていたのです。
よく見ると椰子の実に何かが書かれているようです。男性は、そのヤシの実を、拾い家に持ち帰りました。
数日たつと、椰子の実の表面が乾いて墨で書かれた文字が浮かび上がってきました。

浮かび上がったその文字は。。

『昭和十九年七月十日 所原 陸軍伍長 飯塚正一君』


ヤシの実に書かれた「所原」という地名が近所だったため、男性は椰子の実に書かれていた宛名の人物・飯塚正一さんを探し、ヤシの実を渡します。

宛名の人物・飯塚正一さんは、太平洋戦争中に衛生兵として病院戦船に乗り、アジアの各地を訪れていました。

 

(送り主は誰?)

さて、飯塚さんは、自分に宛てられたヤシの実を受け取ったものの、差出人の名前が、どうしても読み取れないため、誰がこのヤシの実を送ったのかが、わかりません。
そこで飯塚さんは、当時の戦友を訪ねたり、昔の名簿を調べました。その数は百人にもなったそうですが、ヤシの実を送った人がまったくわかりません。

 

(お餅がきっかけで・・)

翌年の正月、飯塚さんは餅つきをしていました。
そのとき、飯塚さんの脳裏に、「手紙を預かって、奥さんから言いつかった餅を大変喜んでいた人がいた。その人が椰子の実の送り主かもしれない」という記憶がよぎります。

 

飯塚さんは。戦時中は衛生兵としてマニラ港に立ち寄ることが多く、マニラの船舶司令部に軍属として勤務していた同郷の山之内さんと知り合って仲良くなりました。

「ヤシの実を送ったのは、もしかして。山之内さんでは??!」そう思った飯塚さんは、すぐに山之内さんの家を訪ねました。しかし、すでに転居してそこには誰も住んでいませんでした。

その二カ月後、偶然にも墓参りに訪れた、山之内さんの妻・喜代子さんが、近所の人から飯塚さんのことを聞きます。そして喜代子さんは飯塚さんと対面します。
この時、飯塚さんは、喜代子さんに、流れ着いたヤシの実を見せます。

そして・・・ヤシの実に書かれていた筆跡と、喜代子さんが持っていた夫からの手紙の筆跡が同じものだったのです!

こうして、 奇跡の椰子の実漂着から、半年以上が経過したころ、このヤシの実が、
フィリピン・マニラで飯塚さんと親しかった同郷の山之内辰四郎さんが流したものだと判明しました。

 

(ヤシの実を流した山之内辰四郎さん)

ヤシの実を流した山之内辰四郎さんは、島根県出雲市出身の陸軍軍属で、1944年(昭和19年)にはフィリピンのマニラ船舶司令部に所属していました。

戦況が悪化の一途をたどる中、山内さんはジャングルの中に後退するときに、ヤシの実を見つけます。そして、その表面に墨で友人の飯塚さんの名前と住所、そして送り主である自分の名前を書きマニラの港から海に流しました。

そのおよそ1年後の7月20日山之内さんはフィリピンルソン島で戦死しました。

山之内さんが海に流したヤシの実は、31年間漂流を続け、様々な偶然と奇跡を重ね、1975年(昭和50年)7月13日、山之内さんの故郷である島根県大社町稲佐の海岸に流れ着きます。そして、山之内さんの妻である喜代子さんの元へと届けられました。
まさに奇跡です!

(小学生の時、新聞で!)

おっさんは、この話は当時新聞で知り、強烈な印象を抱きました。
「奇跡のヤシの実」まさに映画やドラマのような話です。世の中には、奇跡と言うのがあるんですね。

靖国神社に奉納)

このヤシの実は山之内さんの奥さんと飯塚さんが話し合い、靖國神社に奉納されます。
そして、靖國神社遊就館「展示室16 靖国の神々1」に「奇跡の椰子の実」として、展示されています。

 

この奇跡のヤシの実の話が本になっています👇

 

戦地のフィリピンのマニラから流したヤシの実。

墨で書いた文字が消えなかったこと
ヤシの実が食べられたり朽ちることなく
31年間、海を漂って北上し、故郷の島根県に着いたこと、そして自分の妻の手元に届いたこと・・
これはもう奇跡です!