壇ノ浦の戦いで身を投げた
平教経の妻の海御前を祀った水天宮が、
壇ノ浦の海岸近くにあります。
しかもこの海御前は、
河童の総帥に転生したそうです。
(大積神社の一角にある水天宮)
福岡県北九州市大積(おおつみ)地区。
大積柄杓田1号線という道路が通っていますが、その道路沿いには、大きな森のような場所があります。
鳥居が見えるのでここに神社があるというのがわかります。
ここは、現在は埋め立てられていますが、以前は、大積の海岸のすぐ近くでした。
ここには大積天疫神社があります。
その大積天疫神社の左側の一角に水天宮があります。
この水天宮はかつては、かっぱ神社と呼ばれていました。
(八艘飛びの平教経の妻・海御前)
この水天宮には平教経(のりつね)の奥さん・海御前が祀られています。
まず、平教経を説明します。
平家の方々は、「平●●」という感じで似たような名前が非常に多いので混乱します。
そこで解説しますと、この平教経は、平清盛の異母弟の平教盛の息子です。ですから、この平教経は、清盛の甥にあたります。
この平教経は、源平合戦最終章の壇ノ浦の戦いで、源義経を襲おうと義経の船に乗り
移ります。 しかし義経は船から船へと飛び移り逃げて八艘も彼方へ逃げ去ったという
「源義経の八艘飛び(はっそうとび)」の相手です。
壇ノ浦の戦いで敗北した平氏は入水自殺します。平教経も同じく入水します。
その教経の妻・海御前(あまごぜ)も、平家方の女性同様、海に身を投げました。
海御前の遺体は、福岡県北九州市門司大積(おおつみ)の浜に漂着し、その遺体は地元の人が手厚く葬り、「水天宮」として祀ったそうです。
伝説では、壇ノ浦の合戦に敗れた平家の武士は「平家カニ」に、女官は「河童」に化身したそうで、この海御前はその河童の総帥になったと言われています。
(水天宮)
水天宮は、黒塗りの屋根の小さな祠です。
(海御前の碑)
境内には「海御前の碑」が建てられていました。 台座は石を積み上げて作られていて、その上に高さ1メートルぐらいの岩が置かれています。岩の前面には「海御前様」と
彫られています。
(カッパの碑)
海御前の碑の隣にはカッパの碑がありました。
写真左下でわかるように、カッパの頭蓋骨のような石が置かれていました。
(カッパの石像)
カッパの石像が置かれていました。これは、結構、こわいです。
今にも動きそうで、しかも表情が怖いんですけど・・。
【北九州市役所公式HP 水天宮】
<<水天宮への行き方>>
車で行った方がいいです。
バスで行く場合:大積水天宮バス停下車、あるいは大積東口バス停下車。
住所:福岡県北九州市門司区大字大積1272
おまけ)
全国水天宮の総本宮が、福岡県久留米市にある水天宮です。
詳細は下をクリックして御覧下さい。
水天宮に座っているカッパ像。。。
その表情が、かなり怖いんですけど・・・