日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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7月25日 上野動物園からクロヒョウが逃げ出す!!

1936年(昭和11年)7月25日の早朝、
恩賜上野動物園で飼育されていたクロヒョウのメス1頭が
逃げ出すと言う危ない事件が起きます。

上野動物園クロヒョウ脱走事件です。

 この事件は、この年の2月26日におきた「二・二六事件」、5月におきた「阿部定事件」とともに「昭和11年の三大事件」と言われています。

 

(タイから来たクロヒョウ

逃げ出したクロヒョウはメスで、脱走事件の2カ月ほど前の5月18日、タイを訪問した経済使節を介して上野動物園に贈られました。

クロヒョウは体長が4尺5寸(約1.364メートル)、体重14貫(約52.5キログラム)、年齢6歳です。


しかし、動物園に来ても慣れずさらに7月の暑さも手伝い、クロヒョウは事件発生の10日前あたりから食欲不振となりました。
そこで事件前日の7月24日、動物園の方が弱っているクロヒョウを元気づけようと、
せめて夜間だけでも運動場に出してみようとして、寝室の仕切りをあけたままにしました。
そして深夜の午前2時に巡回したときには、異常はありませんでした。
しかし、その翌朝に巡回してみると、ヒョウの姿がなくなっていることに気がつきました。
クロヒョウは運動場の天井のわずかな隙間から逃げたのです。

さあ大変!!どう猛な肉食獣のクロヒョウが脱走したのですよ!。

彰義隊以来の大騒動)
逃げ出したクロヒョウは猛獣!!市街や繁華街に行ったりしたら、子どもや老人、など一般の人が襲われたら大変です!!

クロヒョウ脱走の知らせを受け、すぐに捜査が始まります。
この捜索は猟友会や警防団なども参加した総勢700人余りの大規模なもので「幕末におきた戊辰戦争彰義隊以来の大騒動」と言われました。
下の写真は、当時の状況を伝える新聞記事です。

 

(発見!さあ、どう確保するか)

そして25日午後2時35分、クロヒョウはようやく発見されます。逃げ出したクロヒョウは、動物園正門付近の東京府美術館と公園課の材料置場との間の道路の地下を流れて動物園内に注ぐ60センチ四方の下水に潜んでいました。

ここからクロヒョウの捕獲に向けての動きが始まります。
まずはクロヒョウが逃げないように、下水のマンホールの上に猛獣用の頑丈なおりをかぶせフタをします。
さて、発見したのはいいですが、肝心なのは、どうやって捕獲するかです。
最初は、おりを設置し、地下水路内に入り火を使って、そのおりにクロヒョウを追い込む作戦でしたが、クロヒョウは思うように動いてくれません。

 

大関登場!)

次に考えたのが「トコロテン戦術」です。下のイラストがトコロテンを作る装置です。後ろから押してトコロテンを押し出します。
このように板を盾のように押して進み、クロヒョウを追い詰める作戦です。

この「トコロテン戦術」、アイディアとしては良いのですが、どう猛なクロヒョウが、襲いかかってくる危険性があります。
クロヒョウを板で押しだす危険かつ重要な任務に誰が担当するのか。。。
ようやく動物園のボイラー係で、同時に草相撲の力士で大関でもあった男性が選ばれます。
この方、クロヒョウが向かってきた場合には、ターザンのようにヒョウと戦う覚悟だったそうです。


クロヒョウ捕獲!)

午後5時33分、「トコロテン戦術」でクロヒョウは、用意されていたおりの中に入ります。そして、その瞬間にフタが落ちてクロヒョウは無事保護されました。
クロヒョウの保護に成功した瞬間、集まった人々から歓声が上がりました。

午後6時、逃げ出したヒョウは運搬車で運ばれ、動物園に戻りました。
こうして首都でおきた猛獣脱走騒動は、脱走後13時間半に、1人のケガ人も出さず、無事幕を閉じました。

(この年、上野動物園は200万人突破)

この事件がきっかけかどうかはわかりませんが、この事件が起こった年には、上野動物園は年間の入園者が初めて200万人を突破したそうです。

ちなみに脱走したヒョウは、この事件の後も上野動物園で飼育され、1940年(昭和15年)5月12日に病死しました。

太平洋戦争中に動物園で戦時猛獣処分が行われますが、それは、この事件の影響があったのではないかと言われています。

・・・とうことで7月25日は、
首都東京でクロヒョウ脱走事件が起きた日です。