江戸時代、熊野詣で多くの人が利用した
熊野街道の起点が大阪市中央区天満橋にありました
(熊野街道とは?)
「熊野街道」とは、渡辺の津(現・八軒家船着場跡付近)を起点として熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称です。
平安時代中期以降、皇族や貴族は阿弥陀信仰の聖地として熊野三山に相次いで参拝するようになります。やがて、この動きは武士や庶民にまで広がり、大勢の人々がこの街道を往来しました。
江戸時代、熊野詣では、伊勢詣と並び、庶民が数多く詣でたそうです。
その様子は、蟻の行列する様に例えて「蟻の熊野詣」と言われるほど賑わったそうです。
メインのルートは以下の通りです。
京都の下鳥羽(草津湊)から船に乗って淀川を下り、
摂津国渡辺の津(江戸時代の八軒家船着場付近)に上陸し、
九十九(くじゅうく)王子の最初の王子社、渡辺(窪津)王子でお祓いを受けた後、
御祓筋(おはらいすじ)を南下して四天王寺から住吉へ、
それから街道筋に点々とある王子社を巡拝しながら熊野へと向いました。
(熊野詣の起点)
熊野詣では、京都から船で淀川を下り、上陸した渡辺の津、現在の住所で言うと大阪天満橋の交差点から土佐堀通の南側を西に進んだ永田屋昆布店(中央区天満橋京町2-10)前に八軒家船着場跡の石碑が置かれています。
この八軒家船着場跡の石碑を通り越すとすぐ御祓筋になりますが、御祓筋と土佐堀通との交差点には、熊野かいどう起点碑があります。
人びとはここから四天王寺、住吉大社、堺などを通り、熊野三山へと歩きました。
【大阪中央区オフィシャルサイト】
<<熊野かいどう起点への行き方>>
大阪メトロ天満橋駅から徒歩10分程度
住所:大阪府 大阪市中央区 天満橋京町33番 交差点
かつて、皇族貴族そして庶民など多くの人が
ここから熊野にむかったんですねえ・・