日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ 光る君へ 第15話「おごれる者たち」ネタバレあらすじ 

平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。
第15話「おごれる者たち」
あらすじを見て行きましょう。
(地盤固め)
摂政となった道隆は、990年公卿たちの反発を無視し、娘・定子を「中宮」に立てます。その3日後、一条天皇の母で道隆の妹・詮子(あきこ)を内裏の外へと追いやります。こうして着実に地盤を固めていきます。

(道兼)
ある日、道長は、公任(きんとう)から、道長の兄の道兼が夕餉と酒を出したら、そのまま居ついてしまい、出ていかずに困っていると相談を受けます。そして、行ってみると、兄は酒に溺れ自暴自棄になり落ちぶれた姿になっていました。
道長は「兄上はもう父上の操り人形ではありません、己の意志で好きになさって良いのです」と言いますが、道兼は、自分はすでに死んでいる、とっくの昔に死んでいる、死んだ俺が、摂政を殺したとて誰も責められぬ、摂政の首が取れたら未練なく死ねる、浄土に行けずともこの世とおさらばできる、と涙を流します。
道長は「兄上にはこの世で幸せになって欲しい、まだこれからではないか、兄上は変われる、変わって、生き抜いてください、この道長がお支え致します、しっかりなさいませ、父上はもうおられないのですから」と力付けます。

(身内人事)

993年、除目が行われ、道隆の異母兄弟・道綱と藤原公任は参議に昇格、道兼は内大臣に昇進しています。
息子の伊周も道兼と並ぶ権大納言に大抜擢。まったく身内びいき人事です。
この人事に実資(さねすけ)は「摂政殿(道隆)の身内びいきで世が乱れる、心配じゃ心配じゃ」と不安を漏らします。

今回も、まひろの父・為時はお役目がなく「除目で官職がいただけないのも慣れてしまったのう」と自虐です。

(惟規合格)
しかし、明るい話もありました。
為時の息子の惟規が自宅に姿を現し難関試験に受かった事を報告します。
「擬文章生」になりました。次の「文章生」まであと一歩、よくやった、と為時もまひろも惟規を褒めます。
「擬文章生」の次の「文章生」になれば任官への道も開ける」と父親の藤原為時も気合い十分。

いとは、この日のために取っておいた酒を出し、まひろはお祝いに琵琶を奏でます。
なかなか職が見つからない為時家ですが、息子にはかすかな希望の光が見えてきました。

清少納言誕生)
好き勝手にふるまう摂政の評判はよろしくありません。
道隆の妻・貴子は、女官が定子を中宮にした道隆の強引なやり方に対し「摂政様ってやりかたがあくどいよね?」や「この親(道隆)にしてこの子(定子)あり」と馬鹿にしているのを耳にします。
貴子は、定子が中宮に教育係をつけ、”後宮”を作ることを思いつきます。

ある日、ききょうが、まひろを訪ねます。
そして、まひろに、貴子から、漢詩も和歌もできる話し相手が欲しいと言われ、中宮・定子の女房になることが決まったと報告します。

まひろは、希望がかなったききょうに対し、何も進んでいない自分の姿を嘆きます。

そして、ききょうは中宮定子に逢います。
中宮定子は、ききょうを清少納言と呼ぶことにします。姓が清原、位が少納言ということです。ききょうは「別れた夫は少納言ではありませんが素敵な呼び名なのでぜひそれでお願いします」と応えます。

(願いの矢)
摂政道隆の弟の道長は、道綱の書付けを見て、道綱を呼び出します。
道長は、やってきた道隆に、定子の住まいである登華殿の莫大な設えをなぜ公の金で賄わなければならないのだ、と言うと、それは関白の命令だから関白に聞いてくれと、道綱はこたえます。それを聞いた道長は道隆の所へ行きましたが、相手にしてくれません。

屋敷では、弓競べが行われていて、道隆の長男の伊周が、一人勝ちをしています。
道長は、伊周の挑発に乗り、願い事をしながら弓を射ることになりました。
「我が家より帝が出る」と願った弓矢は、道長の矢だけが命中。
次に「我、関白となる」と願った伊周の矢は大きく外れました。
道長は、同じように願って射ようとしますが、道隆に止められます。道隆は、息子の伊周ではなく、弟の道長が関白になることを恐れたのです。

源雅信死去)
道長が源明子と過ごしていた夜、正妻である倫子の父・源雅信が危篤だという知らせが入ります。そして道長が駆けつけてしばらくして、源雅信は74歳で死去しました。

石山寺
まひろは、さわと近江の石山寺へと出かけます。
2人は道中、お互い結婚できなかったら助け合いながら末永く暮らしていこうと笑いあいます。
そして、幼いころから愛読していた『蜻蛉日記』の作者、寧子=藤原道綱の母と逢います。
寧子は、「いのちを燃やして人を想うことは素晴らしい。けれど妾は辛うございますから」と妾のつらさを語ります。
また、「殿との日々が私の一生のすべてでございました。私は日記に書く事で、己の悲しみを救いました。あの方との日々を日記に書きしるし、公にすることで、妾の痛みをいやしたのでございます」と語ります。

「不思議なことにあの方(兼家)は、あの日記が世に広まることを望みました。あの方の歌を世に出してあげた。それは私のひそかな自負にございます。そこまでして差し上げても、妾であることに変わりはないのだけれど」と、どんなに尽くしても正妻には勝てず、妾は妾という思いを伝えます。

そこに寧子の息子・道綱が姿を現し、まひろに一目惚れします。一方、さわは道綱に一目惚れします。
(夜這い)
その夜、道綱は、まひろに夜這いをかけますが、間違ってさわのところにいきます。
気づかれた道綱は「間違えておった」と言います。さわが「まひろと間違えたのか」と聞くと、「自分には妻も妾もいるためさわを抱こうとしたのは間違いだったと気付いた、」と苦しい言い訳をしますが、その直後に、さわを「まひろ」と呼んでしまうという大馬鹿ぶり。これで、まひろとさわの間に微妙な空気が生まれます。


翌朝、行きのよきの陽気さ、親密さとは変わって、さわはまひろに冷たく当たります。
さわは、自分には才気もなく、殿方を惹きつける魅力もない、家にも居場所がなく、
もう死んでしまいたい、と走り出してしまいました。
ひろたちは、慌てて追いかけます。そして、さわが突然止まります。
川の中や川べりに遺体があったのです。疫病が発生していたのです。

・・・さあ、どうなる。次回に続く