日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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人形浄瑠璃の義太夫節を築いた元祖竹本義太夫の誕生地の碑

大阪天王寺人形浄瑠璃竹本義太夫の誕生の地碑が
ありました。



天王寺の歩道上に)
大阪に行ったとき谷町筋の通りを天王寺駅方向に歩いていると、堀越神社近くの歩道の上にある街路樹のそばに、石碑がありました。
碑には「元祖 竹本義太夫 誕生地」と刻まれていました。 

竹本義太夫!! 日本史の教科書で名前は聞いてなんとなく知っているようですが、実は詳しくは知らないので、ちょっと調べてみました。

 

竹本義太夫とは)

まず大前提として竹本義太夫は本名ではありません。
本名は、五郎兵衛と言い、のちに「竹本義太夫」に改名します。「竹本」の竹は興行師の「竹屋庄兵衛」からとり、「義を重んじる」の「義」に、人形浄瑠璃の語り手を意味する「太夫」をつけています。

竹本義太夫は1651年(慶安4年)に大阪天王寺区の農家に生まれます。浄瑠璃語りの元に弟子入りしやがて独立。
1684年には、竹本義太夫と名のって大坂・道頓堀に竹本座をおこします。
その旗揚げに近松門左衛門作「世継曽我[よつぎのそが]」を披露します。
その後も、竹本義太夫近松門左衛門の作品を多く語り、1703年には「曽根崎心中」が大当りします。

こうして竹本義太夫は生涯に130編余の作品と多数の門弟を残し、人形浄瑠璃の一流派の「義太夫節」を築きます。
そして1714年9月10日に64才で没します。

竹本義太夫誕生地の碑)

この竹本義太夫誕生地の碑は、1950年(昭和25年)に竹本義太夫生誕三百年を記念し、立てられ、2013年(平成25年)に竹本義太夫三百回忌を記念して再建されました。

元祖竹本義太夫誕生地の碑には次のように刻されています。
(西面)元祖竹本義太夫誕生地
(南面)生誕三百年記念
(北面)昭和二十五年十一月建 菅建彦
(西面)
初代竹本義太夫は慶安四年(一六五一)にこの地(摂津国東成郡天王寺村南堀越)に生まれる 通称五郎兵衛 竹本義太夫を名乗り 貞享元年(一六八四)大坂道頓堀「竹本座」を創設 元禄十一年(一六九八)頃朝廷より竹本筑後掾藤原博教の名を許され 正徳四年(一七一四)九月十日没。享年六十四 彼が創設した「竹本座」は能楽 歌舞伎と並ぶ三大国劇の一つと呼ばれる今日の「人形浄瑠璃文楽」の源流である。彼の創始した浄瑠璃(三味線伴奏による語り物)の一流は、その名をとり「義太夫節」と呼ばれ 文楽はもとより歌舞伎等日本の伝統芸能に不可欠な音楽となっている。 江戸期の大阪が生んだ日本を代表する偉大な芸術家である。
 この石碑は「財団法人人形浄瑠璃因協会」により建立されたものを竹本義太夫三百回忌の平成二十五年(二〇一三)に「人形浄瑠璃文楽座因講」が再建したものである。

 

 <<元祖竹本義太夫誕生地の碑への行き方>>

大阪環状線天王寺駅近鉄あべの駅より徒歩約10~15分程度

住所:大阪市四天王寺茶臼山町

 

大阪、四天王寺は、
人形浄瑠璃竹本義太夫が生まれた場所です。