日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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東洋一の大刀洗飛行場の跡地に建つ筑前町立大刀洗平和記念館 ここには唯一の九七式戦闘機と零戦三二型、さらに震電の実物大レプリカも!

 

かつて東洋一を誇った陸軍大刀洗飛行場。
その跡地には、大刀洗平和記念館があります。
ここには、日本で唯一の陸軍九七式戦闘機や
海軍零式艦上戦闘機三二型、
さらに幻の戦闘機・海軍局地戦闘機震電
原寸大レプリカが展示されています。

(大刀洗)

「大刀洗」(たちあらい)という名前は、神功皇后が西域平定に夫の仲哀天皇とともに九州入りしたとき、ここで太刀を洗ったという故事に基づいます。

(東洋一の大刀洗飛行場)

大刀洗平和記念館がある一帯には戦前、115万2000坪の土地に、長さ500m、幅200mの滑走路2本を擁する、東洋一と謳われた日本陸軍が誇る西日本最大の航空拠点である、大刀洗飛行場があり、周辺は軍都として栄えました。

飛行場は1919年(大正8年)10月に完成します。
この年は、ライト兄弟が初飛行に成功した1903年(明治36年)からわずか16年で、さらに第一次世界大戦が終了した翌年です。
飛行場に、この地が選ばれたのは、中国大陸に向かう航空隊の中継地点の役割を持ち、かつ、敵艦隊の艦砲射撃の影響を受けないように海岸から適度の距離があること、さらに広大で障害物のない飛行場に適した土地であることなどが考慮されました。

1940年(昭和15年)10月には大刀洗陸軍飛行学校が開隊します。
大刀洗陸軍飛行学校は本校と呼ばれ、西日本に点在する飛行学校教育隊の中核的な役割を果しました。外地を含め十八の分校があり、特攻隊基地で有名な鹿児島の知覧も大刀洗飛行学校の分校でした。

【引用:太刀洗飛行場戦跡マップ 太刀洗飛行場を辿ってより】


太刀洗飛行場からは太平洋戦争末期には、この飛行場から多くの特攻隊員たちが出撃しました。
そして、1945年(昭和20年)3月には、大規模な空襲で壊滅的な被害を受け、多くの命が失われました。

(大刀洗平和記念館)
大刀洗平和記念館は、かつて個人が経営していいた資料館を2009年(平成21年)10月3日、新たに筑前町立の大刀洗平和記念館として開館しました。

太刀洗平和記念館の正門は、1939年(昭和14年)に開隊した航空技術兵学校「第五航空教育隊正門」の正門を移築して使用しています。


航空技術兵学校「第五航空教育隊正門」時代の正門です。

 

平和記念館の外観は、格納庫をかたちどったカマボコ型です。

(館内は戦闘機以外は内部撮影禁止)
展示館内は、大刀洗飛行場に関する物、1945年(昭和20年)3月の太刀洗大空襲の資料や、犠牲者の遺影、さらには大刀洗からB29迎撃用に出撃した回天制空隊が撃墜されたB29の残骸及び搭乗員の遺影も展示されています。

しかし、3機の戦闘機以外は撮影禁止です。

(展示されている3つの戦闘機)
この平和記念館には、3つの戦闘機が展示されています。
陸軍の九七式戦闘機及び海軍の零式艦上戦闘機三二型は現存する世界唯一の実機です。
また、終戦間際に製作された海軍の局地戦闘機震電の実物大模型もあります。

(九七戦闘機)
陸軍の九七式戦闘機は1996(平成8)年9月に博多湾の埋め立て工事現場で発見され、深さ3mの海中から引き揚げられました。しかし損傷がひどく、当時の設計図を元にした復元されました。

九七式戦は、日中戦争ノモンハン事件、太平洋戦争の初期に、陸軍の主力戦闘機として活躍します。
九七戦の生産数は3386機で、この数は「零戦」「隼」「疾風」に次いで4番目です。

零式艦上戦闘機三二型)

日本海軍のエース機、零戦も展示されています。
これは零戦三二型です。零戦三二型は、1941年(昭和16年)7月に製造が始まり総生産機数が343機です。
ここに展示されている零戦三二型は、1978年(昭和53年)に、マ ーシャル諸島タロア島のジャングルで発見されたものです。

階段があるので操縦席近くに行くことができます。

こちらが零戦の操縦席。間近でコックピットを見ると計器類がひしめいているのが、
わかります。

 

零戦三二型は、速度などの操縦性能は素晴らしいのですが、零戦の中では一番航続距離が短いために南方戦線での戦闘には不向きでした。そのため生産機数はわずかでした。

震電

通常の戦闘機とは違った形が目を引く戦闘機は、海軍の局地戦闘機震電(原寸大レプリカ)です。

震電は九州の飛行機工場で制作が進められ太平洋戦争の終盤にテスト飛行をしている途中で終戦を迎えました。

(陸軍飛行場になぜ海軍機?)

 ここで、なぜ陸軍の飛行場に海軍の飛行機が展示されているか疑問になりませんか?
そこで係の人に聞きました。

すると、沖縄戦あたりから、つまり1945年(昭和20年)春頃から、陸軍と海軍が沖縄戦のために協力したため、この陸軍大刀洗飛行場にも海軍の戦闘機がきていたとのことです。

【大刀洗平和記念館公式HP】

<<太刀洗平和記念館への行き方>>

西鉄小郡駅甘木鉄道に乗換後太刀洗駅下車すぐ
JR鹿児島本線基山駅乗換、甘木鉄道太刀洗駅下車すぐ

住所:福岡県朝倉郡筑前町高田2561−1
電話:0946-23-1227
開館時間:午前9時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:12月26日~12月31日
入場料金:大人(大学生以上) 600円(500円)
高校生 500円(400円)
小学生・中学生(無料)※2023年4月1日~2024年3月31日の期間は無料

唯一の九七式戦闘機、零式艦上戦闘機三二型、

そして震電、、これは一見の価値ありですよ!!