西本願寺の花屋町通と堀川通が交わる交差点の角にある
太鼓楼、ここは、幕末期に新選組が屯所としました。
(人々に時を知らせた太鼓楼)
太鼓楼は1789年(寛政元年)に西本願寺に建立されました。高さはおよそ15メートル、内部は三層になっています。最上階には太鼓があったそうです。
江戸時代には、この大きな太鼓の音を鳴らして周辺に時刻を告げていました。
この太鼓は1950年代まで人々に時を知らせていたそうです。
(新選組2番目の屯所に)
その太鼓楼がある西本願寺に1865年(慶応元年)新選組が移ります。新撰組が西本願寺に拠点を移したのは、西本願寺と長州藩(毛利家)がつながりがあったため、そのつながりを断ち切るために西本願寺に拠点を移したとも言われています。
彼らは境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北集会所と太鼓楼を使用していました。
ちなみに北集会所は、姫路にある本徳寺に移設されたため、現在では太鼓楼だけが残っています。
(2年3ヶ月を太鼓楼で過ごす)
新撰組は、1864年の池田屋騒動以降、隊士が増え、最盛期には2000名を越えたそうです。そうなると壬生の屯所では手狭になります。そこで1865年3月から、1867年に不動堂村に移転するまでの2年3か月間ほどを、ここ西本願寺を本陣とし、「太鼓楼」を新選組の2番目の屯所としました。
彼らは境内で実弾射撃をしたり大砲を撃ったりしたため、大きな音を出したり、危険なので僧侶や門信徒は大変迷惑し、出てもらおうと色々苦労したようです。
現在、太鼓楼には新選組による刀傷が、今も残っていると伝えられていますが、内部は非公開のため見ることができません。