日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

6月7日キスカ島、8日アッツ島占領 日本軍がアメリカの領土を占領 ~第二次世界大戦で、初めてアメリカの領土に敵国が上陸し占領した快挙~

余り知られていませんが、
太平洋戦争中に、日本軍は
アメリカの領土に上陸し占領しています。
1942年(昭和17年)6月7日と8日です。

(太平洋戦争で日本軍が占領したアメリカの領土)

太平洋戦争中の1942年(昭和17年)6月、日本軍はアッツ島キスカ島を占領します。
6月7日にキスカ島、翌8日にはアッツ島を占領しています。

太平洋戦争で、日本軍が初めてアメリカ領土に上陸し占領したのが、この2つ島です。
そして、これは第二次世界大戦で、アメリカ領土に敵軍が上陸し占領した初めてのことです。

アッツ島占領)

その1つがアッツ島です。アッツ島アリューシャン列島の西端にあり、東西約 56 キロ、南北約 24 キロの島で海岸の 95%は岩壁で、平地はツンドラの湿地帯が続き歩行が困難と言われていました。

このアッツ島に6月7日に上陸し翌日8日に占領します。

アッツ島に上陸したのは穂積松年陸軍少佐指揮のもと北海支隊1,150名です。
北海支隊は、このアリ ューシャン作戦用に編成された部隊であり、支隊長は旭川の歩兵第 26 連隊の大隊長だった穂積松年少佐です。

アッツ島占領の様子は当時のニュース映像で紹介されています。

アッツ島は、日本の領土となり、熱田島と表記されるようになりました。

これら島々を占領した目的は、距離的な点から北太平洋からの米軍の進攻を防ぐための飛行場を建設することでした。
北海守備隊のアッツ守備隊は、独立歩兵 303 大隊や北千島要塞歩兵隊のほか高射砲、 工兵、無線などの部隊で編成され、その守備隊員は 2,500 人となり、飛行場の建設にあたりました。

下の写真は、1942 年(昭和17年) 11 月 7 日、 アッツ島のホルツ湾で、米国空軍機によって撮影された日本の三菱 A6M-2N ルーフェ水上戦闘機 4 機です。ただし中央にある2機は衝突し破損しています。

(その後のアッツ島・・・玉砕の島)

 1943年(昭和18年)5月12日、日本軍が占領していたアッツ島に、アッツ島守備隊の4倍以上となる1万人あまりの約1万1000名のアメリカ軍が上陸を開始し戦闘が始まります。

そして日本軍は5月29日に玉砕し、アメリカ軍は、5月30日にアッツ島の占領を宣言します。

5月30日、大本営アッツ島守備隊の全滅を発表します。そのとき、初めて「玉砕」という表現を用いました。

キスカ島占領)
1942年(昭和17年)6月7日、キスカは日本軍に占領されます。写真は6日に海軍旗を掲げる海軍陸戦隊の将兵です。

(大成功!キスカ島撤退)
その後のキスカ島です。
キスカ島では、1943年(昭和18年)5月27日から7月29日にかけて、キスカ島守備隊の撤退作戦である「ケ」号作戦が行われました。

この作戦名は、運を天に任せて大勝負をする「乾坤一擲(ケンコンイッテキ)」から、名付けられました。

当初は潜水艦15隻を使った物資の補給と傷病兵の輸送を行いますが、アメリカ軍がレーダーなどを使って厳重な警戒を行ったために、被害が大きく失敗しています。

そこで、この地域に発生する、視界ゼロに近い濃霧に紛れて高速で駆逐艦等がキスカ湾に突入し、そこで素早く守備隊を収容して、迅速に離脱するという計画が立てられました。

そして、気象条件を考えキスカ島への突入は7月29日と決断されました。
キスカ島一体が濃霧につつまれた29日13時40分、キスカ島の鳴神湾に投錨した艦隊に、キスカ島守備隊員約5,200名が約1時間で乗り移り、ただちに全速で離脱しています。

こうして収容部隊を指揮した第五艦隊第一水雷隊司令官・木村昌福(きむら まさとみ:当時51歳)が、キスカ島を包囲していた連合国軍に気づかれることなく、5千名余りの日本守備隊撤収を成功させました。これぞ作戦の勝利です。

この日本軍の撤退に、米軍はまったく気がつかず、その後、日本兵がいなくなったキスカ島を艦砲射撃や航空猛爆撃を行い8月15日に3万4000名の兵力で上陸作成を行っています。

(米軍へのプレゼント)
こうしてまんまと無傷でキスカ島から撤退した日本軍ですが、上陸してくるであろう
米兵に置き土産をしています。

まずは、日本軍の軍医が、上陸するであろう米軍へ「ペスト患者収容所」と書かれた立て看板を兵舎前に残しました。これを見た上陸部隊はパニック状態に陥り、アメリカ本郷に大量のペスト用血清を要請する電文を打ちます。

また、地下司令部には、星条旗で仕立てた座布団がテーブルの周りに敷かれていて、その黒板には「おまえたちは、ルーズベルトの馬鹿げた命令に踊らされている」と書いてありました。

。。。ということで、
6月7日、8日は、
日本軍がアメリカの領土を占領したと言う快挙を
成し遂げた日です。