日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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2024年(令和6年)10月20日(日)シベリア抑留慰霊祭に参列し命を落とした方々に玉串を奉納 

終戦直後、ソ連によって元日本兵や民間人が
シベリアやモンゴルなどに移送されて
過酷な労働を強いられ、
およそ5万5000人が犠牲になったとされる
「シベリア抑留」。
その慰霊祭があり参列し玉串を奉納してきました。

※今回、全国強制抑留者協会様の御協力を頂きました。有難うございました。

(福岡縣護国神社で開催)
2024年(令和6年)10月20日(日)午前10時半、福岡県福岡市中央区にある福岡縣護国
神社の「参集殿」にて、慰霊祭が行われました。

(シベリア抑留が起きた背景)
それでは、シベリア抑留が起きた時期を見ていきます。
1945年(昭和20年)8月9日、日ソ中立条約が一方的に破られ、ソ連が日本に参戦します。これも国際法違反行為です。

侵攻してきたソ連は、元日本兵や民間人をシベリアやモンゴルに移送し、過酷な強制労働を行います。この中には、電話交換手や看護婦など女性も含まれていました。

ソ連が行った捕虜の強制労働はポツダム宣言違反及び、ハーグ陸戦条約違反)
日本が受諾したポツダム宣言では「武装解除した日本兵を家庭に帰す」と記載されていました。
またハーグ陸戦条約の第二章「俘虜」には「人道を持って取り扱う事」(第四条)「その労働は過度でなく」(第六条)「平和克復の後はなるべく速やかに、俘虜をその本国に帰還させなければならない。」(第二十条)と記されています。
しかし、いずれもソ連はそれを無視した扱い=国際法違反行為です。

(過酷な抑留生活)
抑留された方々は、「極寒での寒さ」「重労働」「食料不足による栄養失調」「いつ故国に帰ることができるか見当がつかない精神的不安」・・この4つに苦しめられました。

彼らが住まされたのは、マイナス30度になる厳しい環境の中、最初はラーゲリと呼ばれるみ収容所に入れられました。
ラーゲリは、最初はテントを張っただけの粗末な小屋で、寒くて戦友と裸で抱き合い、お互いの体温で温めてしのいだそうです。吐く息でテントに氷の層ができていたそうです。
やがて、自分たちで丸太小屋を作らされ、収容所は少しはましなものになりました。
しかし、土を見るのは年に3か月程度であとは雪の世界。
朝起きると冷たくなっている人が続出し、収容所から少し離れた場所には遺体を埋める穴が掘られていました。この穴も捕虜が掘って作ったものです。

食事は、粗末で黒パン300グラム=1キレと具がない塩味の薄いスープだけ。毎日が飢餓との戦いで、多くの人が餓死しました。

捕虜は強制労働を強いられました。そのほとんどが森林伐採バム鉄道(第二シベリア鉄道)の建設でした。手作業で森を切り開き、土地を整備しレールを敷いていきます。
栄養不足の状態で極寒の中での作業、しかも厳しいノルマがあり、達成できないと食事が減らされる状況でした。

また、ソ連は、東京ダモイ(東京に帰れる)と言いつつ、捕虜を列車に乗せ、違う場所に連れて行き、強制労働を行いました。こうしたことが続くので捕虜の方は、いつ日本に帰ることができるかと不安の日々でした。

こうした環境に嫌気がさし、逃げだそうとして射殺された捕虜の方もいます。

・・・・こうして、抑留された5万人以上が命を落としています。

(慰霊祭に参列)
望郷の思いに駆られながらも異国の地で命を落とした人のなかで、福岡県出身の方は、2024年(令和6年)7月末時点の厚生労働省の発表では1263人です。

その方々の慰霊祭が2024年(令和6年)10月20日(日)10時半から、福岡市中央区にある福岡縣護国神社「参集殿」で行われたので、参列し黙祷や献花を行い死没者の冥福を祈りました。

会場には、遺族や関係者など50人が参列しました。

慰霊祭は10時半に始まり11時半過ぎに終了しました。

追悼の詞で、心に残ったのは「戦争で命を落としたのではなく、戦争が終わったのにもかかわらず、だまされて連れ去られ、異国で病気などで命を落とした」という一文でした。
そうなんです。「戦争が終わったので、これで故郷に帰れる!!」ハズだったのに、
ソ連国際法を違反して日本人捕虜を強制連行したことで、この惨劇が起き多くの方が命を落としたのです。
これは忘れてはいけません。

参列者全員で献花。もちろん、おっさんも献花しました。

舞鶴引き揚げ記念館)
捕虜の方々が異国での強制労働で、命を落とすことなく生き延び、ようやく苦しい抑留生活から解放され、引き揚げてきた日本の港の1つが日本海側にある京都の舞鶴港です。
ここは、主に旧満洲朝鮮半島やシベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となり、1945年(昭和20年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”が入港します。
以後1955年(昭和33年)9月7日の最終引揚船“白山丸”の入港まで約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れてきました。

その舞鶴には、舞鶴引き揚げ記念館があり、ここには抑留された方々の生活が再現されています。

シベリア抑留に関して、コレがお勧め!
おっさんは不覚にも涙しました・・。

 

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シベリア抑留経験者のお話を聞きました。
その時の様子は下をクリックして御覧下さい

シベリア抑留での生活を支えた犬との交流の実話は、
下をクリックして御覧下さい

ロシアは、1993年(平成5年)に、
当時のエリツィン大統領が

日本を公式訪問した時、
抑留を「非人間的な行為だった」と認め、
日本側に謝罪しています。

 

厚生労働省が確認したシベリア抑留死亡者数は
約55,000人。
これは東京ドームのキャパと同じです。


シベリヤ抑留体験者が起きた事を忘れず
私達は「何が起きたかを」伝え残していくべきだと
改めて感じました。