日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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日本の輸送船がアメリカの潜水艦を撃沈! ~キスカ島沖で鹿野丸がグラ二オンを撃沈!~

太平洋戦争中、特設運送艦・鹿野丸が
アメリカの潜水艦を攻撃し沈めています。
輸送船が潜水艦を撃沈したのです!!

(鹿野丸)
1942年(昭和17年)7月31日、輸送船が潜水艦を攻撃し撃沈するという出来事が起きました。
この日、特設運送艦・鹿野丸が、アリューシャン列島のキスカ島沖で、アメリカの潜水艦グラニオンを砲撃で撃沈しました。
鹿野丸は、もともと国際汽船がニューヨーク航路用として建造した基準排水量8572トンの客船です。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)7月に海軍に徴傭され、特設運送船(甲)に類別されます。

キスカ島を占領)
1942年(昭和17年)6月4日から5日、日本軍は、ソ連カムチャツカ半島からアメリカのアラスカ半島にかけて北太平洋にのびるアリューシャン列島へ攻撃を開始します。
そして、7日にキスカ島を占拠します。

(鹿野丸アリューシャン列島のキスカ島へ)

1942年(昭和17年)7月、鹿野丸は、舞鶴に入港し爆雷の搭載工事を受け、水上偵察機1機を搭載しアリューシャン列島のキスカ島へ向かいます。

(米潜水艦の攻撃を受けるも・・・)
7月31日に、鹿野丸はキスカ湾外に入港しようとしますが、アメリカ海軍潜水艦のグラニオン(SS-216)から攻撃を受けます。

(魚雷が命中しても不発で難を逃れる)
午前5時47分、鹿野丸は魚雷攻撃を受けます。
1本目は回避したものの2本目が右舷中央部の機関室に直撃します。命中した魚雷は不発でしたが直撃した時の衝撃で乗組員2名が死亡します。
そして航行不能に陥り、発電機や無線機も使用不能になります。
この時、鹿野丸の見張り員が船尾の海面に、右舷側から左舷方向に移動する潜望鏡を発見します。すぐに8㎝砲 と13mm機銃で応戦しますが命中しません。

この後、鹿野丸はさらなる攻撃を受け、発射された3本の魚雷のうち2本が左舷船橋前方と中央部に命中します。しかし、この2本の魚雷が不発だったために、またもや難を逃れます。

相次ぐ魚雷の不発でグラ二オンは装填された魚雷を全て撃ち尽くします。
午前6時10分、グラ二オンは鹿野丸に距離400mにまで肉薄します。
これに対し鹿野丸は、グラ二オンがいると思われる水域に対し8cm砲を84発発射します。そして浮上中のグラニオンの艦橋部と思われる部分に砲撃が命中し、グラニオンは水煙を噴出し、その後水中で爆発し沈没しました。

こうして鹿野丸はアメリカの潜水艦を撃沈した唯一の輸送船となりました。

 

・・・ということで、
アリューシャン列島にあるキスカ島沖で
日本の輸送船・鹿野丸が
アメリカの潜水艦を攻撃し撃沈しています。