
大阪・天下茶屋駅前に、
日露戦争の捕虜収容所が存在していたことを
ご存じですか?
スーパーの駐輪場にひっそりと残る石碑が語る、
明治時代の“戦争の記憶”を紹介!
(天下茶屋に日露戦争の俘虜収容所があった!)
大阪メトロと南海電鉄の改札がある、天下茶屋駅。この駅の前にはイズミヤ天下茶屋店(カナートモール)があり、日々多くの人々が行き交う賑やかな場所です。
この天下茶屋駅とイズミヤ天下茶屋店(カナートモール)の間にある駐輪場に、ひっそりと石碑がたたずんでいます。


これです。

そして、その石碑には、こう刻まれています。
「日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地」
「俘虜」とは「捕虜」の事です。
ここには日露戦争の捕虜収容所が存在していたのです。
(わずか2か月存在した、俘虜収容所)
1904年(明治37年)2月、日露戦争が勃発すると戦地から、ロシア兵が捕虜として日本に送られました。彼らは各地に作られた俘虜収容所に収容されます。
天下茶屋もその1つでした。
日露戦争が起きた年の10月、大阪・西成郡天下茶屋に陸軍予備病院天下茶屋分院が建設されました。ここでは、翌年1月から、大阪天下茶屋俘虜収容所との標札を掲げ、ロシア塀捕虜の収容が始まります。
収容所の施設は約6万坪という広大な敷地で、ここに、平屋建て60棟がありロシア兵捕虜数、6,062人が収容されました。
ここには、事務所、手術室、調剤室、厨房、憲兵詰所などの附属施設も整備されていました。周囲は杉板塀で囲まれ、中ではハーグ条約に則った人道的な対応がなされていたと記録されています。

しかし、より大規模な収容所が浜寺に建設されたことで、3月には捕虜たちはそちらへ移送。天下茶屋の収容所としての役割は、わずか約2カ月間で終わりを迎えました。
その後、この場所は再び陸軍予備病院分院として使用されることになります。
<<大阪天下茶屋俘虜収容所碑への行き方>>
大阪メトロおよび南海電鉄、天下茶屋駅すぐ
住所:大阪市西成区岸里1丁目1
天下茶屋には、明治の戦争史に触れることができる
貴重なスポットがありました。
しかし、当時の面影はほとんど残ってなく
石碑だけが静かにその歴史を語り続けています。





