日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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♪春の小川


音楽の授業で歌った経験があると思われる「春の小川」。

その歌碑が、大都会・東京渋谷にあるので見てきました。f:id:reiwa00502:20190617113216p:plain

「春の小川」。。。その歌詞を耳にすると、、、

広々とした田園風景、そこに流れる清流、川の中には魚が生き生きと泳ぎ、岸辺には美しい花が咲き乱れる‥そんな光景がイメージされますよね。

そのイメージは現在の東京・渋谷とは結び付かないですよね。。

でも昔の渋谷は、そうだったんですよ。

春の小川

 

 

(石碑の場所)

「春の小川」の歌碑は、山手通りと井の頭通りが交差するあたりの小田急線沿い、

代々木八幡駅近くにあります。f:id:reiwa00502:20190617113948p:plain

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(春の小川とは)

 「春の小川」は、1912年(大正元年)に発表された作詞:高野辰也、作曲:岡野貞一の文部省唱歌

 作詞家の高野は、当時、渋谷区代々木3丁目付近に住んでいました。

その一帯は田園地帯で宇田川の支流・河骨川(こうぼねがわ)が流れていました。

この河骨川が歌の題材となったと言います。

 

(当時の渋谷)

 今やネオンがまたたく、眠らない街のイメージがある澁谷ですが、ほんの100年ほど前は,のどかな田園地帯でした。

 渋谷川は、宇田川や河骨川などの支流に分かれは、昭和初期までは、たくさんの水車が回る,のどかな小川だったそうです。

水車は明治末期の最盛期には40をこえていたそうです

歌詞の通り、春になるとメダカなどが泳ぎ回り、そして岸辺にはスミレやレンゲの花が咲いていたといいます。

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 しかし、戦後、渋谷地区の宅地化が進み、さらに高度経済成長時代になると河骨川は、家庭排水が流れるドブ川となりました。

そして東京オリンピッ ク前後にかけて、細流部分はマンホールに、川幅の太い部分は「フタ」をした「暗渠(あんきょ)」となり、その上を道路や遊歩道に しました。

今は、東京都の下水道の一部として使用されています。

おっさんが指さす下あたりが暗渠でしょうか?

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 高野辰之氏が、「春の小川」の歌詞のイメージを膨らませたと言われる河骨川のほとりがあったと思われる場所に歌碑がありますが、すぐ近くには小田急線が走り、周囲は住宅街になっています。

もう、「春の小川」のイメージは残ってなく昔を偲ぶ面影はありませんね。

 

(「春の小川」作詞作曲コンビ)

「春の小川」を作った高野辰也(作詞)、岡野貞一(作曲)のコンビはほかにも有名な歌を作っています。「朧月夜(おぼろつきよ)」「春が来た」「紅葉」「日の丸の歌」「故郷」・・これらはすべて二人の制作です。

 

歌碑に続く道では、電柱にこのような看板が掲げられています。

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(参考資料:東京都建設局 HP)

昔の写真 ここに当時の風景が・・・

 

今の姿など

 

 

<<「春の小川歌碑」の行き方>>

小田急電鉄代々木八幡駅東京メトロ千代田線代々木公園駅から徒歩5分

〒151-0053 東京都渋谷区代々木5-64先