1945年(昭和16年)12月8日、日本がアメリカのハワイにある真珠湾を奇襲攻撃し
太平洋戦争が始まった日です。
当時は、真珠湾奇襲とは言わず 布哇(ハワイ)大空襲と呼んでいました。
(ラジオや新聞は 開戦をどう伝えたか)
当時の国民の情報源は新聞とラジオでした。とはいっても軍の検閲がありました。
国民は、12月8日の朝、ラジオを通して日米開戦を知りました。
【日米開戦を告げるラジオの臨時ニュース】
(ラジオが伝えた12月8日)
日米開戦の日、ラジオはどう伝えたか、その1日のラジオ放送および音源をまとめました。こちらをご覧ください。
【1945年(昭和16年)12月8日のラジオ放送はここにまとめています】
(映画館での日本ニュース)
当時はTVはなく、映像は映画が主流でした。
映画館では、映画が上映される前に、日本ニュースが制作したニュースが
流されていました。
日米開戦を告げる大本営の発表も日本ニュースで、映像付きで知らされました。
【日米開戦を告げる当時の日本ニュース映像】
その後、ハワイ大空襲を撮影した映像ができると
日本ニュースで放映されます。
【布哇大空襲を知らせる当時の日本ニュース映像】
【布哇大空襲2報を伝える当時の日本ニュースの映像】
(布哇大空襲に参加したパイロットが
占めていた鉢巻きに触ることができる!!)
この布哇大空襲に実際に参加したパイロットが巻いていた鉢巻きを、
直接手にすることができる場所があります。
岐阜県の白川村にある平和祈念館には、12月8日の真珠湾奇襲に出撃した
日本海軍の戦闘機乗り・安江巴海軍一等飛行兵が実際に使用したハチマキが残って、
誰もが自由に手に取って触ることができます。
すごく貴重な体験です!!
ハチマキの右部分には、赤色で「十二月八日 布哇〔これで、ハワイ と読む〕空襲」 の文字が書かれていいます。
この安江巴海軍一等飛行兵の攻撃で米艦隊のペンシルバニアは使用不能となります。
【この貴重な真珠湾奇襲参加者の鉢巻きがある岐阜県東白川村の戦争祈念館について
書いたブログはココ】
この真珠湾奇襲を機に日本は3年8か月に及ぶ太平洋戦争に突入します。
12月8日は日本が太平洋戦争を始めた日です。
12月8日、日本がなぜ戦争に向かったか、どういう背景で、どういう国際関係で、
人々の暮らしはどうだったかを色々調べて考えてみてはいかがでしょうか?