坂本龍馬は何度か幕府側から命を狙われますが、その中でも有名なのが
寺田屋襲撃事件です。
このとき龍馬は重症になりますが、命からがら逃げのび、材木小屋に隠れます。
この龍馬が身を隠した材木小屋の跡地は橋のたもと、現在は石碑があるだけです。
(寺田屋襲撃、龍馬逃げる)
1866年(慶応2年)1月24日深夜未明、まさかまさかの薩長同盟が成立した
3日後、伏見奉行所の役人が、龍馬がいた寺田屋を取り囲みます。
しかし、それに気付いた龍馬の妻のお龍が龍馬に知らせ、龍馬は高杉晋作からもらった護身用のピストルで、寺田屋に一緒にいた長州藩士・三吉慎蔵はやりで応戦します。
そして、2人ともなんとか脱出します。
龍馬は重傷を負いますが、三吉慎蔵が龍馬を肩にかけて夜道を逃げ回り、
濠川(ごうかわ)にかかる大手橋そばの材木小屋を見つけて、ここに龍馬を隠します。
そして、三吉自身は、龍馬を隠した後、近くにあった伏見の薩摩藩邸に駆け込み助けを求めます。その後、知らせを聞いた薩摩藩は川船を出して龍馬を救出します。
この濠川(ごうかわ)は、豊臣秀吉が伏見城を築城した時に、外堀として開削され、
宇治川とつないで伏見の水運を担ってきました。
(実際に寺田屋から材木小屋まで龍馬が逃げた道を
歩いてみる)
おっさんは、実際に龍馬が襲われた寺田屋から、龍馬が逃げた道(現在は竜馬商店街となっています)、そして身を隠した材木小屋跡まで実際に歩いてみました。
下に、寺田屋→竜馬商店街→材木小屋跡の地図があります。
結構距離があります。普通に歩いて15分は、かかりました。
【スタート地点:龍馬が襲われた寺田屋】
【龍馬が走って逃げた場所:現在の竜馬商店街】
寺田屋から、竜馬商店街経由で材木商に行くには、遠回りです。
たぶん不意に襲撃され、隠れる場所を探しながら、必死に逃げたのだと思われます。
正直な話、この道を、傷を負った身で、しかも追っ手をかわすように走って逃げるのは、なかなか大変だと思います。
【ゴール:材木小屋】
龍馬の傷は深く、翌日まで出血が止まらなかったと龍馬の手紙にも記されています。
龍馬とお龍は1月29日まで伏見薩摩藩邸に滞在し、その後に西郷隆盛らとともに薩摩藩の蒸気船三邦丸に乗船し鹿児島へ向かい、傷の治療をかねて霧島温泉に向かいます。この事件後、龍馬は傷を癒すため、また身を隠すためにお龍と一緒に鹿児島へ行きます。これが日本初の新婚旅行と言われています。
【龍馬とお龍さんが薩摩へと旅立った伏見京橋船着き場】
<<坂本龍馬が寺田屋で襲われた後に隠れた材木小屋への行き方>>
住所:伏見区過書町(大手橋西詰北側)