日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

MENU

吉原神社飛び地境内地にある吉原弁財天本宮(よしわらべんざいてん もとみや)~関東大震災の悲劇を伝える弁天池~

関東大震災のとき火災から逃げようとした遊女達が
殺到し500人近くが命を落とした池が今も残っています。

(吉原神社飛び地境内地にある吉原弁財天)
吉原遊郭にある吉原神社を参拝しようと街を歩いていたとき、紅色の幟がたくさん立てられた場所がありました。その幟には「弁財天 吉原神社」の文字が・・。
しかし、地図を見ると吉原神社はまだ先・・・ここはいったい何??

ここは吉原神社飛び地境内地にある吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮です。1935年(昭和10年)に合祀されました。

日本橋より移転)
このあたりは、江戸時代初期までは湿地帯でした。
1617年、江戸で唯一、幕府公認の遊郭だった吉原が現在の中央区人形町付近に誕生します。しかし人口増加による江戸拡張計画と、1657年(明暦三年)におきた明暦の大火で、江戸幕府の命により、湿地を埋め立て、ここ周辺に吉原遊郭が移されました。

ここを新吉原と言います。以後、新吉原は1958年(昭和33年)までの300年間、遊郭街として繁栄します。
下は1872年(明治5年)に撮影された吉原の様子です。

遊郭をつくるときに、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰を集めるようになりました。池は、花園池・弁天池の名で呼ばれていました。
関東大震災で火災を逃れ500人近くが死亡)
1923年(大正12年)9月1日、首都東京を直撃する関東大震災が起き、東京は壊滅・10万5000人もの死者・行方不明者を出しました。
遊女の屋鋪がひしめいていた新吉原でも火災が発生し、炎は瞬く間に町中を包みこみます。
建物崩壊による圧死を免れた人たちは火災の熱風を避けようと、この弁天池に殺到します。そして、炎や煙が襲いかかったため、次々と池に飛び込み、490人が溺死します。震災から3年後の1926年(大正15年)には、溺死した人々の供養のため、弁天祠付近の筑山に大きな観音像が造立されました。

その後、池は埋め立てられ小さくなりました。

(花吉原名残碑)
境内には吉原遊郭の歴史を伝える石碑がありました。1960年(昭和35年)に地域有志によって建立されました。

<<吉原弁財天本宮への行き方>>

東京メトロ入谷駅徒歩10分
住所:東京都台東区千束3-22

吉原神社から歩いてすぐの場所にある吉原弁財天本宮。
ここには関東大震災の惨状を伝える遊女達の
悲しい歴史がありました