出雲が産んだ出雲阿国の墓参りをしてきました。
(出雲阿国の墓)
出雲 阿国(いずもの おくに)は、安土桃山時代の女性で「かぶき踊り」を創始した人です。
その踊りが全国的に大人気となり、現在の歌舞伎になったと言われることから阿国は歌舞伎の祖と言われています。
その阿国の墓が、出雲大社から稲佐の浜に行く途中の左側にありました。
太鼓原の石段を登っていくと石棚で囲った出雲阿国の墓があります。
石碑は、かなり古そうです。
(出雲阿国とは)
出雲阿国は出雲の鍛冶職、中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女だったという説もあります。
出雲阿国は、京都で流行している異様な風体の「傾く者」のファッションを取り入れ、塗笠に衣を着け紅の腰蓑をまとい、金造りの太刀やロザリオをつけた男の格好で、歌と所作を加えて踊りました。
これを京都の五条などで公演したところ、大人気となり「天下一の女」ともてはやされます。
(江戸で大人気)
阿国は、その後江戸へと進出します。
江戸時代初期の1607年(慶長12)年2月20日、出雲阿国が江戸城で初代将軍の徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露しました。
それを記念して2月20日が「歌舞伎発祥の日」となっています。
出雲阿国の踊りは、江戸城の本丸と二の丸の間にもうけられた特設舞台で行われ、この踊りを一目見ようと大名や観覧を許された町人が詰めかけ大混雑となりました。
江戸城での踊りは大好評でやがてその踊りをまねる者も続出し、全国的な流行になります。
出雲阿国が江戸で踊りを披露したおよそ20年後の1624年、江戸で江戸歌舞伎が生まれ、これが大衆に支持され発展していきます。
(出雲に戻り没す)
阿国は晩年は大社に帰り、尼となり、87歳で没したと伝えられています。
出雲市大社にある出雲阿国の近辺には、阿国が晩年暮した連歌庵や、歌舞伎界の名優たちの寄付で建てられ「出雲於國の塔」などがあります。
<<出雲阿国の墓への行き方>>
駐車場有り 6台
おっさんは出雲阿国とは何ん関係もありませんが
その行き方は素晴らしいと思います。
みなさん、出雲大社に参拝したら
是非、出雲阿国の墓にも立ち寄ってみましょう!