太平洋戦争中の1942年(昭和17年)11月15日(日)、
本州と九州をつなぐ関門鉄道トンネルが
旅客営業をします。
(本州と九州を鉄道輸送でつなぐ)
本州と九州を鉄道輸送でつなげるという関門鉄道トンネルの工事は、1936年(昭和11年)9月19日に、小森江駅で起工式が行われ、着工します。そして3年後の1939年(昭和14年)4月19日に貫通し8月5日に完成しました。
世界初の海底トンネルで、全長3,614.04メートルです。
(11月15日旅客列車の関門鉄道トンネル開通)
1942年(昭和17年)6月11日に最初の試運転列車が下り線トンネルを通過します。
そして11月15日に旅客列車が開通します。当初は単線でした。
写真は、門鉄管弦楽団の演奏で、盛大に迎えられ門司駅に到着した特急富士です。
下の写真は、下り線の海底中央部付近です。
(大東亜縦貫鉄道構想の1つとして)
関門鉄道トンネルの建設には、陸軍が乗り気でした。
当時、九州、壱岐、対馬、朝鮮半島を海底トンネルでつなげ、最終的にはこの鉄道網を満州鉄道につなげることで、満州から九州までを鉄道網でつなげるという「大東亜縦貫鉄道構想」がありました。
この壮大な計画が完成すれば、大陸向けの軍需品や兵士の輸送が、海上輸送よりも安定的な鉄道輸送で行えるため、陸軍が乗り気だったのです。
(2年後には上り線が開通し複線に)
関門鉄道トンネルの上り線は、1940年(昭和15年)に着工が決定され、1944年(昭和19年)8月8日に開通しました。そして、9月9日からは複線での運転となりました。
(米軍の飢餓作戦対策に活躍)
関門鉄道トンネルの上下線が開通した1944(昭和19)年7月は、太平洋戦争での形勢は不利な状況でした、サイパン島は陥落し、やがて本格的に米軍による本土空襲が始まります。
本土空襲では、日本列島の島々を行き来している連絡船が、米軍の「飢餓作戦」とよばれる機雷による海上封鎖作戦をうけ、日本の海上輸送力低下していきます。
本州と九州を結ぶ関門海峡も米軍の飢餓作戦で狙われます。
しかし、関門トンネルを使うことで、本州と九州間の、食料や石炭や物資、兵員や兵器の輸送を比較的、安全に行うことができました。
(関門トンネル立坑)
鹿児島本線の現在の門司港駅と門司駅の間に、小森江駅(こもりええき)がありますが、ここに関門鉄道トンネルを作るときの立坑があります。
関門鉄道で九州から本州へは、すぐです。
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【鉄道で、車で、歩いて、船で・・・・
関門海峡を渡る方法は数種類あります】
・・・今も九州と本州を鉄道で結ぶ関門鉄道、
そのスタートは11月15日でした。