日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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大河ドラマ「どうする家康」 ネタバレ,あらすじ 38話「唐入り」

どうする家康、38話は、秀吉の第一次朝鮮出兵と次男・秀頼誕生のお話です。

(太閤秀吉)
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、「関白」の職を甥の秀次にゆずり、自身を「太閤」と名乗ります。
そして日本を統一した秀吉の次の目的は、明国の征服です。

そこで肥前の海に面した名護屋に城を築き(名護屋城)、ここに徳川家康前田利家伊達政宗大谷吉継などを集めます。名護屋はこの時代、日本有数の街として反映します。
実際に名護屋城跡に行きましたが、とても広大で、上に行くまでかなり歩きました。
また上から見下ろす景色は素晴らしいものでした。


(連戦連勝)
日本軍は10万を超える大軍で朝鮮半島に上陸。わずか一ヶ月で漢城(ソウル)を制圧し「日本軍は連戦連勝」という快進撃の知らせが届きます。秀吉は、「明国を征服し、さらに天竺(インド)や南蛮をも征服する」と言い出します。

しかし、五奉行の一人である浅野長政が異を唱えたため、激高した秀吉が切りつけようとします。慌てて、石田三成たちが浅野長政を捕まえて外に引きずりだします。

 

(将軍義昭)
ある日、室町幕府最後の将軍・足利義昭が昌山と号し、家康の陣屋を訪れます。足利義昭は出家しましたが、将軍だったという過去の栄光を利用して、大名たちに、たかりにきていたのです。

(連戦連勝のハズが・・)
同日、8000石の武将となった服部半蔵が「藤堂高虎の水軍がやられた」という報告をします。連戦連勝の快進撃と伝わっている朝鮮半島での戦いで、日本軍は、苦戦を強いられているというのです。

家康は、本多忠勝と一緒に本陣に確認に行き、石田三成に確認すると、秀吉には本当の状況は伝えられていませんでした。

家康は秀吉にお目通りして、朝鮮半島にわたるのをなんとか止めようとします。家康は、「どうしても参るのであれば、私はここで腹を切ります。殿下のかわりは、殿下しかいません。」と身体をはり秀吉を止めようとします。

(きつね)

秀吉が母の危篤により大阪へ戻っている間、茶々は、家康の元を訪れます。
茶々は「母・お市が、かつて家康を慕っていた。ひょっとしたら家康が私の父だったかもしれない」と言い、家康の手を握り、「父と思ってお慕いしてもいいか」と色目を使い家康の心にも入り込もうとします。この女性は何を企んでいるのやら・・・。
と、そこへ、家康の側室・阿茶がやってきて「殿下に取りついた狐がいるとのうわさを耳にいたしました。我が殿にも取りついてはなりませぬゆえ、狐を見つけたら退治しようかと……。お見かけになっておりませぬか?。」と言います。
阿茶局と茶々のバチバチの戦いです。

(みじめぞ 猿!)
半蔵と大鼠は島津・毛利・小西などの陣から、文書を盗み出し、日本軍が非常に危機的な状況にあることを家康に報告します。

さらに明が朝鮮軍を支援し、朝鮮の日本軍の兵糧は底をついている状況、これに朝鮮半島の、厳しい寒さもあり、まるで地獄のようだとの情報がもたらされます。

朝鮮でのたたかいで苦戦している実状を知った家康は、大阪から戻った秀吉と対峙します。秀吉の明国入りを制し、茶々に惑わされ政を誤ってはいけないとさとします。
秀吉は、そんな家康に対し言うことをききません。逆に、秀吉は、徳川をいつでも潰せると脅します。
すると家康は、かつての底知れぬ才覚あふれた秀吉なら絶対にそんなことは言わないと指摘し、「みじめぞ、猿!」と一喝。
家康と秀吉が、あわや乱闘・・という時、昌山(足利義昭)が現れ、「てっぺんは一人ぼっちよ。信用するものを間違えたらいかんのう」と言いながら、独り酒を飲み干し、去っていきます。この言葉に、秀吉も考えを改め、家康の意見を聞き入れます。


また秀吉は、百姓の出で、家臣もおらず1人でのしあがってきた、それに対し生まれた時から家臣に慕われている家康がうらやましかったとしみじみ言い、「見捨てるな」と伝えます。

秀吉は茶々に大阪へ帰るよう指示し、さらに唐入りを休止します。

 

(休戦)
文禄2年(1593年)5月、石田三成漢城(ソウル)を捨て、和議の明国の使者を連れて帰国しました。

秀吉は、和議を聞き入れ、同時に明国から和睦するための使者を伴った三成らにねぎらいの言葉をかけます。
このとき、茶々から懐妊の知らせが届きます。次男・豊臣秀頼です。その知らせを知り、秀吉は下品な高笑いをします。