日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

7年連続・2600日以上毎日更新中。全国の戦跡・史跡に足を運び、「当時の一次史料」と「現地映像」も交え発信。歴史に学び、人生大逆転を目指します。

ダイエットの挑戦
重曹クエン酸水は効果がない
前立腺ガンやPSA
妖怪怪物
MENU

8月2日 八王子空襲 ~投下された焼夷弾の数は東京大空襲とほぼ同じ~

8月2日未明、東京都八王子市が空襲を受けました。
市街域の8割が焼失し450名が死亡したこの空襲は、
投下された焼夷弾の量が日本本土空襲では3番目でした。

(八王子市を壊滅させた八王子空襲)
八王子駅は中央線や横浜線八高線が通る鉄道の重要都市でした。そのため軍需工場の労働者の住居や疎開してきた人が多く空襲の目標となりました。
第二次大戦が終わる二週間前の1945年(昭和20年)8月2日未明、八王子市はアメリカ軍B29、約170機による空襲を受けました。八王子空襲です。

 

アメリカ軍の爆撃機B29、約170機が2時間で1600トン=67万個の焼夷弾を投下して街を火の海とし、約450名が死亡、2,000余名が負傷し、旧市街地の約80%が焼失するという大被害でした。
この空襲では、街中だけではなく山寺や学校など、広い範囲で被害が出て、石造りの建物以外の建造物はほとんど残らず、空襲の凄まじさがわかります。

八王子空襲で投下された焼夷弾の量は、3月10日の東京大空襲の総投下量1665トンとほとんど変わらず、日本本土空襲では3番目の量です。

(出典:総務省 八王子空襲 

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_20.html

(多くの人が避難した大和田橋)
東京都八王子市大和田町3丁目には多摩川の支流浅川に架かる大和田橋があります。
京王八王子駅中央出口から徒歩7分.ほどの場所にあるこの橋は、1938年(昭和13年)にかけられました。

空襲の時には、多くの市民がこの橋の下に避難し命が助かりました。

(大和田橋に残る焼夷弾の跡)
国道20号を東京から甲府方面に向かう、大和田橋の歩道部分には、八王子空襲の時の焼夷弾の跡が残っています。
弾痕の保存は、上下の歩道上にあるそれぞれの1箇所は透明板で覆われています。

他の焼夷弾の跡の15箇所あり、色タイルで、その位置を示してあります。

ガラスで覆った焼夷弾の跡の部分ですが、見に行った日が暑い日だったので、ガラスの中が曇っていて中の様子がよくわかりませんでした。

<<大和田橋への行き方>>
京王八王子駅中央出口から徒歩7分.ほど
住所:東京都八王子市3丁目15

8月2日は、
東京大空襲とほぼ同じ量の焼夷弾が投下された
八王子空襲が起きた日です。