日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

7年連続・2600日以上毎日更新中。全国の戦跡・史跡に足を運び、「当時の一次史料」と「現地映像」も交え発信。歴史に学び、人生大逆転を目指します。

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今日は何の日?5月2日は「天狗党の乱」勃発の日 お墓も実際に参拝してきました!

こんにちは、5月2日は何の日かご存じですか?
この日は幕末に尊王攘夷を掲げ、
理想に燃えて挙兵したものの、
最後は悲惨な結末を迎えた「天狗党の乱」が
始まった日です。
(天狗党の乱とは?)
幕末の1864年(元治元年)5月2日(旧暦3月27日)、水戸藩士田丸稲之衛門、藤田小四郎などが「天皇を守り、外国を追い払う」という尊王攘夷を旗印に、常陸国筑波山で挙兵します。「天狗党の乱」です。
(なぜ乱が起きたのか?)
水戸藩は、徳川御三家の1つで、幕政に深く関わっていました。
同時に「水戸学」をもとにした尊王攘夷思想の発信地で、藤田幽谷、藤田東湖、会沢正志斎ら優れた学者を輩出しました。あの吉田松陰も水戸に来て教えを受けています。

水戸藩は1829年になると、藩主となった水戸斉昭が尊王攘夷派の藤田東湖らを登用して、財政再建や軍備の増強などの藩の改革を始めました。
そして藤田東湖の唱えた尊王攘夷に呼応した尊王攘夷派の人々が力を持ち始めます。
こうして権力を得た一派は、反対派から「鼻を高くして偉ぶっている」ということで天狗党と呼ばれるようになりました。
(殺伐たる時代)
1858年、幕府の大老井伊直弼はアメリカと日米修好通商条約を締結しますが、この条約は、幕府が孝明天皇の許可を得ずに開国を進めたもので、「天皇をないがしろにした」ということで、尊王派の不満や怒りがつのります。
これに対し大老の井伊直弼は水戸藩の多くの尊王攘夷派を弾圧します(安政の大獄)。そして、その報復として1860年、水戸藩の尊王攘夷派が井伊直弼を暗殺する(桜田門外の変)など、殺伐たる状況となります。
下は桜田門外の変を描いた浮世絵です。

(天狗党筑波山で挙兵)
天皇の命令に従わない幕府の対応に藤田小四郎、武田耕雲斎らは不満を抱きます。
そして幕末の1864年(元治元年)5月2日(旧暦3月27日)、水戸藩士田丸稲之衛門、藤田小四郎などが「天皇を守り、外国勢を追い払う」という尊王攘夷を旗印に常陸国筑波山で挙兵します。これが「天狗党の乱」です。

最初は62人でしたが、次第に各地から浪士や農民らが天狗党に加わり途中で約1,400人に膨れ上がりました。
(水戸藩内部対立)
一方、水戸藩内では桜田門外の変以後、幕府側の勢力が次第に勢力を持つようになり、諸生党を作ります。
こうして水戸藩の内部は幕府寄りの「諸生党」と尊王攘夷を掲げる「天狗党」の二つの派閥が対立します。
諸生党は藤田小四郎ら天狗党が挙兵すると水戸藩内の過激派を排除しようと抗争を繰り返します。
(京都を目指す天狗党)
天狗党は、京都にいる同じ水戸藩出身の一橋慶喜を頼って京都を目指し進軍します。
「一橋慶喜を通じて朝廷に尊皇攘夷の志を伝える」という目的でした。
しかし、幕府は天狗党の動きを反乱として捉え追悼軍を送り、また、水戸藩をはじめ関東諸藩に出兵を命じ、各地で戦闘が続きます。
天狗党は下野、上野、信濃、飛騨を通り、越前国福井県まで迂回します。
そして越前国新保で力尽き幕府による総攻撃当日の12月17日(1865年1月14日)、加賀藩に投降して武装解除し降伏しました。
天狗党の総大将・武田耕雲斎は越前国で捕らえられ、福井県敦賀市の来迎寺(らいこうじ)で処刑されました。
結局828人が捕らえられ、352人が斬首刑され、他は遠島や追放の刑に処せられました。さらに水戸藩ではその家族までが処刑されるなど天狗党は粛清されます。水戸藩はこの乱で多くの優秀な人材を失い、明治新政府では大きな役割を果たせませんでした。

しかし、江戸幕府が滅びると、天狗党派が再び実権を握り、今度は逆に諸生党の勢力を次々に処刑する報復が行われました。

「尊王攘夷」は明治維新の原動力にもなりましたが、その裏にはこのような悲劇もあったのです。

(回天神社参拝)
水戸市にある回天神社。ここには天狗党以外にも、安政の大獄、桜田門外の変といった幕末の動乱で命を落とした水戸藩士を祀っています。

回天神社の隣には水戸殉難志士の墓があります。

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【水戸市観光コンベンション協会のHPの回天神社】

(回天館)
投降した天狗党の志士800余名は、敦賀で16棟の鰊倉(にしんぐら)に押し込まれ、
ここで苦しい生活を受けました。

回天神社には、彼らが事実上監禁され苦しい日々を強いられた鰊倉が1棟、福井県敦賀市から譲り受け回天館として残っています。

おっさんはこの中に入りましたが、正直この木造の建物で北陸の冬を過ごすのは大変です。閉じ込められた人は相当苦しい生活を強いられたことが想像できます。

今では、この鰊蔵を利用した回天館には、天狗党の資料などが展示されています。

ふと館の扉や板壁を見ると、そこには、閉じ込められた人たちの血で書いた文字が残っていました。

<<回天神社への行き方>>

今回はレンタサイクルでいきました

住所:茨城県水戸市松本町13-33

5月2日――
それは「正義」と「理想」を信じて立ち上がった
若者たちの、悲劇の始まりの日でした。

幕末が好きな方、歴史が好きな方、
今日は少しだけそんな「もう一つの幕末」に
思いを馳せてみませんか?