2025年(令和7年)のNHK大河ドラマは「べらぼう」です。
この物語は、1750年(寛延3年)1月7日に、江戸時代の遊郭・吉原で生まれ、1797年(寛政9年)に亡くなった人物でいわゆるプロデューサー蔦屋重三郎の物語です。
彼が手掛けたエンタメビジネスは、現在の日本文化やエンタメに影響を与え続けています。
2025年(令和7年)9月21日(日曜日)、NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第36話「鸚鵡のけりは鴨(おうむのけりはかも)」です。
それではストーリーを見て行きます。
(売れ行き好調)
1789年(寛政元年)2月。
武士の教本として松平定信が記した「鸚鵡言(おうむのことば)」。
それを皮肉った恋川春町の黄表紙「鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)」や「天下一面鏡梅鉢』が、売れ行き大好調です。
特に、『鸚鵡返文武二道』は、今までよりも風刺を効かせた内容になっていたため、重三郎のていは「これはからかいすぎではないか」と心配し、鶴屋もその内容を心配していました。
一方、重三郎は「越中守様は黄表紙好きって話があるらしいんですよ。意外とやりたい放題かもしれませんよ」とのんきです。
しかし、定信は業務多忙につき、自分の事を風刺された本を読む暇がなかっただけでした。
(「これはもはや謀反も同じである!!」)
政治改革に乗り出す定信は新しい人材を広く登用しようと動きます。
しかし、これまで黙殺されていた賄賂の取り締まりにもメスを入れた結果、そのおこぼれと言う「うまみ」がなくなったために、お役目を辞退する者が続出し、人手不足が続きます。お役目になっても、自分の持ち出しだけが増えてしまい、何のうまみもない。というのです。
この状況が理解できない定信に、本多忠籌が「鸚鵡返文武二道」を差し出します。
そこには、定信が行う文武奨励がうまくいかずに空回りする様子が、皮肉っぽく描かれていました。
眼を通した定信は、「これはもはや謀反も同じである!!」と大激怒し本を破り捨てました。
(絶版処分)
江戸の日本橋にある重三郎の店・耕書堂。ここに奉行所の役人たちがやってきました。
松平定信が進める政治を風刺した「鸚鵡返文武二道」「文武二道万石通」「天下一面鏡梅林」といった人気作が「けしからん!」ということで絶版処分を受けたのです。店頭の本も没収され重三郎の店は休業に追い込まれます
(筆を折る)
お上のこの対応に戯作者たちも今までのようにはならなくなりました。
秋田藩士でもある朋誠堂喜三二は、主君から叱責を受け筆を断つことを決意し、「遊びってのは、誰かを泣かせてまでやるこっちゃねえ」と言い江戸を離れることになりました。
一方、恋川春町は、一万石の小藩である駿河小島藩に仕えていました。この藩主は松平信義(のぶのり)です。
今回の騒動で、主君・松平信義(のぶのり)が恋川春町では?と疑われていました。
そこで信義が「本物の恋川春町、倉橋格(いたる)は隠居しました」と申し開きし、恋川春町は病で隠居することになりました。
(平秩東作市死す)
大田南畝からの文が届きました。そこには平秩東作の病が記されていました。
知らせを受けた重三郎は、大田南畝と須原屋市兵衛とともに見舞いに行きます。
平秩東作はかつて、源内と鉱山開発に奔走し、意次・意知に協力しその手足となって蝦夷地を調査した人物です。
東作は、「平賀源内がこないだ来たのよ、狂歌が流行る前に江戸を去っちまったから、狂歌会出てぇって。」と話しました。
東作を見舞った後、3人は須原屋に戻り、ワイン片手に話をします。
須原屋は源内を見たという平秩東作の言葉を受け「世界の時計は進むのに日の本だけは100年前に逆戻り。ますます取り残されちまう。俺や田沼様がやったことは何だったんだって言いに来てんのかもしんねえな。」とつぶやきます。
その後、平秩東作は息を引き取りました。田沼のために奔走した彼の死は、田沼時代の完全な終焉を表していたのかもしれません。
(蝦夷を上知に・・)
5月、蝦夷地での商取引や労働環境に不満を持ったクナシリのアイヌが蜂起し、和人の商人や商船を襲い和人を殺害します。
決起したアイヌ人は、周囲にも蜂起をよびかけます。その中でメナシのアイヌがこれに応じて、和人商人を襲います。クナシリ・メナシの戦いです。
松前藩主・松前道廣はこの騒ぎを鎮圧しますが、定信は松前の政が悪かったので乱が起きたと考え、そのため蝦夷地を上げ知にすることを発案します。
そして蝦夷を上げ知とする案を一橋治済と御三家に提案します。
治済は「わしはよいが、そなたはそれでよいのか?蝦夷の上げ知は田沼が先に考えていた事。それを行えば、そなたこそが「田沼病」と笑われはせぬかと案じておる。」と言います。
さらに定信に、「民衆は意次の焼き直しだと感じるのではないか」と言い、恋川春町の『悦贔屓蝦夷押領』を見せます。
この『悦贔屓蝦夷押領』は、源義経に見立てられた意次が蝦夷を平定させ将軍に献上するという話ですが手柄の横取りがテーマとなった風刺でした。
これを読んだ定信は、作者の恋川原町を呼び出すよう命じます。
その夜、一橋治済の屋敷には、松前道廣の姿がありました。どうやらつるんでいるようです。
(どうする春町)
定信からの呼び出しをうけた恋川春町は、自分はどうすれば良いかを、重三郎に相談します。
当初は、「松平定信に逢い、自分たちの思いの丈を話す」という案も浮かびましたが、これでは春町の主君に危険が及ぶ可能性があるため中止とします。
ここで重三郎は「いっそ、まことに病で死んでしまうってのはどうです?病で隠居は建前ではなく、本当だったってことにして。その後は絵や戯作を生業として別人として生きてく、とか。」と言い、春町もこれに賛同し主君に伝えます。
一度、死んだことにして別人になり戯作者として生きていくというのです。
主君は春町からこの案を聞くと「そなたの筆が生き延びるのであれば頭などいくらでも下げようぞ。」と合意します。
(別名で・・・)
戯作者の1人である喜三二が筆を折り帰郷する日がやってきました。
吉原の駿河屋では壮大な送別会が開かれました。
盛り上がりの中、別れを惜しむ皆々が本に喜三二のサインをせがみます。
すると山東京伝=北尾政演が「北里喜之介」の名で書くようにお願いします。
三和が、「そりゃひょっとして喜三二先生が「喜之介」として筆をとるってことかい?」と言います。
そうです、喜三二が「喜之介」と名を変え執筆活動を続けるというのです。
それを知り皆はおお喜び!
一方、蔦屋耕書堂の前では、恋川春町が何やら思いつめた表情で立ち尽くしていました。
重三郎の妻のていが声を掛けたところ「豆腐でも買って戻る」と言い立ち去りました。
(春町自害)
喜三二の会の最中に、駿河屋が重三郎に人別の写しを渡します。
一度死んだことになる春町がこれから使うものです。
これで喜三二同様に春町もうまくいくと思われました。
喜三二が「喜之介」と名を変え執筆活動を続けるということで皆も大喜び・・という楽しい状況の中、悲痛な知らせが入ります。
恋川春町が切腹自殺をしたのです。春町は、自分が逃げれば藩にも重三郎たちにも迷惑がかかると考えました。
切腹した春町の側には、ビリビリに破かれた紙片が散らばっていました。それをつなぎあわせて文章を読むと・・
「定信が春町の屋敷に出向く、病も偽りだろうと言ってきた。これだと、春町の主君・松平信義が嘘をついてだましてしまったことになります。今すぐ逃げよ、と春町は信義から言ってもらえましたが、自分の藩、家、重三郎や他のみんなにも影響があるかもしれない。そこで全てをまるくおさめるには、これしかない」と・・。
さらに辞世の句が書かれていました。
「我もまた身はなきものとおもひしが 今はの際はさびしかり鳬(けり)」
この歌の意味は「生きていても価値のない存在だと思っていたが、いざ最期の時を迎えてみると、やはりこの世への未練があって寂しいものだ」
「鳬」は鴨です。「鸚鵡(おうむ)のけりは鴨でつけようというひねりですかね」、と北尾重政が呟いていました。
するとその時、三和がすぐに辞世の句を書き換えます。
「我もまた実は出ぬものとおもひしが今はお側が恋しかり鳬(けり)」
これでは春町の辞世の句が腹をこわした歌に変わっつてしまいました。
こんなふざけた句は死者への冒涜だと責められますが、三和は「だってこんなのやってられねえじゃねえかよ!ふざけねえとよ」と反論します。
(豆腐)
重三郎は、亡くなった春町の頭に豆腐がついていることに気がつきます。
春町は「豆腐の角に頭をぶつけて死んだ」のです。
春町は武士・倉橋格としては腹を切ることで責任を取って死にました。一方、戯作者・恋川春町は戯作者らしく死ぬときも何かふざけてことをやろうと考え“豆腐の角に頭をぶつけて死んだ”オチをつけようと考えたのでした。
喜三二は「戯作者だから、真面目な、クソ真面目な男だったじゃない。ふざけるのにも真面目でさ。恋川春町は最後まで戯けねえとって考えたんじゃねえかなぁ」と言い、
重三郎も「べらぼうでさぁ!春町先生…おふざけが過ぎまさぁ」と故人を偲びます。
(嗚咽)
春町が切腹したという知らせは松平定信にも伝わります。
春町の主君は「一人の至極真面目な男が、武家として、戯作者としての「分」をそれぞれわきまえ全うしたのだと、越中守様にお伝えいただきたい。
そして、たわければ腹を切らねばならぬ世とは一体誰を幸せにするのか。学もない本屋風情には分かりかねる。…と、…そう申しておりました。」と重三郎の言葉も告げます。
定信は、少年だった頃、恋川春町の『金々先生栄花夢』を読み楽しむなど、戯作を愛してきました。その尊敬してきた戯作者・恋川春町を自分が追い詰めて死に追いやってしまったという事態に、布団部屋に行き布団に顔を押し付け嗚咽します。
次回に続きます。
<<おまけ>>
蔦屋重三郎に関する地域を歩きましたので紹介します。
<吉原>
【吉原神社】
【吉原弁財天(よしわらべんざいてん)本宮】
【見返り柳】
<重三郎が構えた日本橋耕書堂跡>
<<蔦屋重三郎の墓標>>
<<平賀源内の墓>>
・・・ということで
2025年(令和7年)の大河ドラマ「べらぼう」
第36回「鸚鵡のけりは鴨(おうむのけりはかも)」の
紹介でした。