
1944年(昭和19年)11月20日、
第一次玄作戦が行われました。
人間魚雷回天の初陣です。
(人間魚雷回天)
人間魚雷・回天。
太平洋戦争中に日本海軍が開発した兵器で、人間が座ったまま操縦し、敵艦に体当たりをする兵器です。
全長は14.75m、先端部分には1.55トンの爆薬を装備していて大型艦船でも一発で沈めることが可能だと考えられていました。
「回天」の名称は、「天を回らし戦局を逆転させる(天業を既倒に挽回する)」という意味があります。

香川県さぬき市に、回天の実物大のレプリカがあります。
隣に身長175㎝のおっさんが立つと、その大きさがわかると思います。

回天は伊号潜水艦に搭載され、そこから発射して出撃していました。

(11月20日回天初陣)
人間魚雷・回天を用いた特攻作戦を玄作戦といいます。
回天の初陣となる第一次玄作戦は1944年(昭和19年)に行われ、回天特別攻撃隊菊水隊が出撃しました。
1944年(昭和19年)11月8日、午前9時、伊36、伊37、伊47三隻の潜水艦が第15潜水隊司令揚田大佐に率いられて、回天の訓練場であった大津島を出港しました。
この各艦(伊36、伊37、伊47の三隻)には、それぞれ四基の回天が搭載されていました。
そして・・・。
伊36潜(艦長:寺本巌少佐)は、11月20日午前4時54分ウルシー環礁北方水域で今西艇を発進、5時45分に大爆発音を聴取しました。搭載していた他の三艇の回天は機械の故障で発進できませんでした。
伊47潜(艦長:折田善次少佐)は、11月20日午前4時15分仁科艇を、その後、五分間隔で佐藤艇、渡辺艇、福田艇をウルシー環礁南方水域から発進します。
5時7分、5時11分にそれぞれ大火柱を望見、さらに5時52分に爆発音を聴取しました。
伊37潜(艦長:神本信雄中佐)は、回天四基を搭載していましたが、パラオ島コッソル水道に向かったまま消息を絶ちました。なお、米軍資料によると攻撃予定日の前日11月19日の午後コッソル水道西口で沈没しています。
こうして人間魚雷回天の初陣となったウルシー泊地攻撃では、撃沈は給油艦ミシシネワ一隻だけだと、米側は公表していますが、戦艦ペンシルヴァニアも撃沈されていた可能性が高いようです。
写真は回天の特攻によって横転したミシシネワです。
(回天の訓練基地は4カ所)
人間魚雷回天の訓練基地は最初、山口県の大津島に作られ、その後、山口県の光、山口県の平生、そして大分県の大神に作られました。
回天の出撃は、大半が大津島基地からで14回、光からは12回、平生からは2回、大神から1回でした。

その1つ、山口県の大津島には今も回天訓練の施設が残っています。
何度か足を運びました。その様子は下のサムネイルをクリックして御覧下さい
(回天慰霊祭に参列)
人間魚雷回天の慰霊祭に参列し玉串を奉納してきました。

(2021年:令和3年)
(2022年:令和4年)




