
(出典:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1456308/1/118)
1900年(明治33年)12月31日、午後8時、
福澤諭吉の提案で
「19世紀・20世紀送迎会」が開催されました。
塾生ら500人が午後8時に慶應義塾に集まり、
19世紀を振り返り、さらに20世紀の幕開けには
「二十センチュリー」という花火を打ち上げ
新世紀を祝いました。

(出典:https://dl.ndl.go.jp/pid/992524/1/152)
世紀が変わる瞬間・・節目ですよね。
19世紀から20世紀になる1900年(明治33年)12月31日、午後8時、慶應義塾大学の塾員、学生などおよそ500名が三田の大広間に集合し、「世紀送迎会」がスタートしました。
萩原純一が開会の辞をのべ、鎌田栄吉塾長、門野幾之進教頭らが挨拶。続いて普通部主任を務めていて、のちの塾頭になる林毅陸が「逝けよ十九世紀」と題する世紀送迎の辞を読み上げました。
その送迎の辞の内容は、「十九世紀の文明は自然科学の勝利であったが、科学の進歩が貧富の不平等を生むことになった。また政治上、思想上の奴隷を救うことをもって始まった十九世紀は、経済上、物質上の奴隷を作り出すことをもって終わった。十九世紀の偉人たちによって養われたけんらんたる文明の花を、見事に結実させることこそが二十世紀に生きるわれわれの責務である」と。
さらに、集まった慶応大学の生徒に対し、「諸君、慶應義塾は由来文明軍の勇士を以て自任す。願ふここに十九世紀を送りて二十世紀の新天地を迎ふるに當り、我黨の抱負をして特に明赫雄大ならしめよ」と呼びかけます。
その後、新講堂に移動し晩餐会が執り行われました。
会場の壁には、十九世紀の出来事をテーマとした
・ナポレオンがワーテルローで敗退した場面
・砂時計が懐中時計に椅子を奪われる場面
・甲冑姿の武士が鎗と槌で黒船に対抗する場面
・日清戦争の三国干渉
・ロシア皇帝の戴冠式
が風刺的に描いてありました。
そして最後の壁画は、19世紀を象徴する老人が、手に手に木棒=希望を持った20世紀の子供たちに追われるという風刺画だった。
また、生徒たちの寸劇も行われました。19世紀をかたどった骸骨が自分の命脈の尽きたことを知り二十世紀の子供に冠を譲ろうとしますが、世界各国がこの冠を奪おうと画策します。ところが日本の手によって、うまく冠が譲られた、と言う内容でした。
(冬の夜空に浮かび上がった「二十センチュリー」)
12時近くなると一同は構内にある運動場に移動します。そこには大篝火がたかれ、周囲にはカンテラが立てられ明るく照らされていました。
ここに3点の風刺画がかけられていました。
1枚目は、うたた寝中の儒教学者が聖人の夢を見ている「儒学者の夢」
2枚目は、苦しむ農民の上に労働者が乗り、さらに商人が乗っかり、一番上に洋服姿でシルクハットをかぶった大名が傲然とひげをさすっている「階級制度の弊害」
3枚目は、目尻の下がった紳士が、ほうきやすりこぎで武装する妾たちを訓練する「蓄妾の醜態」でした。
12時ちょうどになると、30人の学生が、教師の号令のもと。この3枚の風刺画に火をつけました。こうして19世紀の悪習があっというまに燃え尽きました。。
さらに、そして花火で作られた“20センチュリー”が燦然と輝くきました。

(出典:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1235830/1/165)
(20世紀から21世紀へ)
ちなみに、世紀送別会は第2回が100年後の2000年(平成12年)12月31日午後3時から、「21世紀へのガイダンス」をテーマに、行われました。
1900年(明治33年)12月31日、午後8時、
福澤諭吉の提案で
塾生ら500人が慶應義塾に集まり、
「19世紀・20世紀送迎会」が開催されたのです。




