日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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8月14日、透見法の御船千鶴子登場、第一千里眼婦人と呼ばれた女性 ~当時の新聞記事を紹介~

(出典:新聞集成明治編年史 第十四卷:昭和15年出版 デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/90


超能力を持った人に逢いたいといつも思っていました。
明治の時代・・
その超能力を持ったかもしれない人がいたんです。
1909年(明治42年)8月14日、
東京朝日新聞に「不思議なる透視法」と題した記事が
掲載されました。

(透視法)
透視法・・明らかに超能力ですね。この透視法の持ち主は、河地千鶴子、のちに御船千鶴子です。

1908年(明治41年)、熊本県宇土にいた彼女は千里眼による体内透視と治療を行っていたそうです。その治療は患部に手を触れて精神を集中するというもので、その不思議な力が地元では評判だったそうです。

翌年、彼女は新聞記事に登場します。記事では、千鶴子が京都帝国大学の前総長であった木下広次の治療を行なったことを報じています。
そして記事には「透見」と表現されています。

(出典:新聞集成明治編年史 第十四卷:昭和15年出版 デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/90

 

(炭鉱の鉱脈を透視で当てる)
千鶴子は「金属などの中に入っている物が透視できる」「遠隔地の人や物を見ることができる」などの超能力を持つと言われていました。

1909(明治42)年には、三井が経営する三池炭鉱万田坑第二竪坑の鉱脈を透視で言い当てたとして謝礼2万円が送られたそうです。
下の写真は現在の三池炭鉱万田坑第二竪坑で世界遺産に指定されています。

(天眼通の女)
千鶴子は1910年(明治43年)の4月の新聞にも登場しています。
この時期に書かれている「天眼通」。。なかなか聞かない言葉ですが、「てんがんつう」と読み、「事物が見通せる神通力」、「普通の人では見ることができない事象を自由自在に見通す力」のことを言います。

(出典:新聞集成明治編年史 第十四卷:昭和15年出版 デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/145

 

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(その能力を科学的に調査)
こうして注目を集めた千鶴子に、その年の9月14日、東京での公開実験が開催されました。日本で初めて科学的にその超能力が調査されることになったのです。

この実験では主催者側の福来、今村の両博士に加え、千鶴子の父・御船秀益、義兄・清原猛雄、さらには東京帝国大学の元総長・山川健次郎ら、当時を代表する錚々たる学者や各新聞社の記者も参加しました。
下はそれを取り上げた記事です。

(出典:新聞集成明治編年史 第十四卷:昭和15年出版 デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/175

 

ここで行われた実験は、水道管を押しつぶし、両端はハンダで閉じたその内部に入れた紙に書かれている文字を透視してもらうものです。
20個の鉛管のうち3個については当てましたが、それは山川の用意したものではなく、福来が練習用に千鶴子に与えたものであったものでした。
成功率の低さもあり、新聞は千鶴子の透視能力について否定的な論調をとります。

(疑惑の目・・)
また、千鶴子は1910年(明治43年)秋に、福来が千鶴子に送付した19通の封印つき封筒の透視を行います。そのうち透視が成功したのは7通で、3通は火鉢に落として燃えてしまいました。

これについては、火鉢の湯気を当てて封を剥がし、綺麗に元の状態に戻したものだけを返送し、復元に失敗したものは、はがして仲を見ようとしたことがバレるためワザと火鉢に入れて証拠隠滅をしたという意見も出ています。

そのほか学者たち立ち合いの上での実験でも、千鶴子は、毎回、観察者に背を向けて10分以上時間をかけていました。そのため、封筒の中身を透視するときには時間をかけて、周囲に気がつかれないように上手に封をはがし、中身を確認し、元に戻したのではないかという超能力に否定的な意見もありました。
(結末)
ウソはホントか、インチキか??超能力か・・・世間は分かれます。
当然、千鶴子にもその声は届きます。
そして1911年(明治44年)1月19日に、第一千里眼婦人・御船千鶴子は、劇薬を仰いで自殺します。享年24(数えで26)。

(出典:新聞集成明治編年史 第十四卷:昭和15年出版 デジタル国会図書館

https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1/205

 

明治末期、
学会やメディアを大きく揺るがした御船千鶴子
その超能力は、本物だったのか、
偶然が重なっただけだったのか、
それともトリックだったでしょうか・・