福岡県筑後市、水田天満宮のすぐそばに、
幕末“九州の松下村塾”と呼ばれた
「山梔窩(さんしか)」があります。
ここは、尊皇攘夷派の活動家として知られる
真木和泉守保臣(まき・いずみのかみ やすおみ)が
謹慎生活を送りながら勤皇の志士を育てた場所です。

■「山梔窩」
福岡県筑後市水田。ここには、太宰府天満宮と並び九州二大天満宮である水田天満宮があります。
その水田天満宮から5分ほど歩いた場所に、小さな藁ぶきの家があります。
この家が、幕末に勤皇派の志士を育てた“九州の松下村塾”、「山梔窩」(さんしか)」です。
現在、この「山梔窩」は
構造 木造平屋建て
面積
- 敷地 430.38平方メートル
- 延床 29.17平方メートル です
■「山梔窩」という名の由来
「山梔窩」(さんしか)」その名前の由来には二つの意味があります。
-
庭に植えられていた梔子(クチナシ)から取った
-
藩から発言を禁じられた自身の境遇を「口なし」と重ねた
■真木和泉守保臣とは
さて、「山梔窩」で教えていた真木は1813年、久留米に生まれました。
11歳で父の跡を継ぎ、水天宮の第22代神職となります。その後、水戸で水戸学を学び、帰藩後は久留米藩の改革に関わりました。
しかし藩内の対立から神職を解かれ、1852年5月17日筑後・水田の大鳥居理兵衛宅で謹慎となります。
この理兵衛は真木の弟で水田天満宮へ養子に出ていました。
当初、真木和泉守保臣は、この地で菅原道真の「菅家文草」を筆写し水田天満宮に奉納する作業に取り組んでいました。

■約10年にわたる教育活動
1852年8月6日、この蟄居先の一角に「山梔窩」が建てられます。

そして1854年2月15日、真木は「山梔窩」で「新論」について最初の講義を行います。
真木の思想は徹底した「幕府否定」と「王政復古」であり、国家有用の人材を育成する事でした。
「学業は志・才・気の三つなければ成就せず」と語っています。(「何傷録」文久元年九月)真木和泉守保臣による教育は1862年2月まで続き、門弟教育に力を注ぎました。

山梔窩の中に入った感想は、「小さな和室」でした。萩の松下村塾に雰囲気が似ています。
真木和泉守保臣の強い信念は多くの若者を動かしました。
この山梔窩からは、倒幕・尊王運動の中心となる多くの志士が育っています。
その中には、坂本龍馬よりも早く薩長同盟に動いた久留米藩士・淵上郁太郎をはじめ寺田屋騒動や天誅組、八月十八日の政変に関わった人物などが挙げられます。

■「真木和泉守謫居之處」の石碑
「山梔窩」の隣には「真木和泉守謫居之處」の石碑があります。


この石碑に刻まれた「謫居」は「たっきょ」と読み「自宅 に引き こもった り、 遠く の 土地 へ 流され たりしていること」。あるいは「その地の 住居」という意味があります。
■寺田屋騒動から京都へ
1862年1月に、真木和泉守保臣は筑後羽犬塚で、京都から薩摩に戻る途中の大久保利通と面談します。
そして2月16日未明、山梔窩を脱出します。
その後、4月23日、伏見に到着し、その夜に寺田屋騒動で捕らえられ、7月に久留米へ送還されます。
※「寺田屋騒動」は、坂本龍馬を襲撃した「寺田屋襲撃」ではありません。
幕末の1862年に、寺田屋にて起きた、島津久光が尊王攘夷派の志士たちを鎮圧した事件のことです。 この事件により、薩摩藩の攘夷志士たちは京都から追放されました。
11月には朝廷から赦免の沙汰を受けます。
翌年、5月22日、真木和泉守保臣は、藩命により久留米藩親隊隊長として再び上京します。
そして7月には京都で孝明天皇から「五事建策」への褒美を賜り、志士たちから「今楠公(いまなんこう)=勤皇の忠臣として有名な楠木正成の再来」と呼ばれるほど尊敬を集めました。

■禁門の変と最期
討幕計画を進めていた真木ですが、1863年8月18日の「八月十八日の政変」で長州藩や三条実美らと共に都を追われ、長州へ退きます(七卿落ち)。
翌1864年、6月15日、長州藩の久坂玄瑞とともに兵率いて上京し、7月19日には「禁門の変(蛤御門の変)」で幕府軍と戦いますが敗北します。
7月21日、事件の責任を取り天王山で16人の同志とともに自刃し、波乱に満ちた生涯を閉じました。享年52。


(出典:「真木和泉守」昭和9年出版:国立国会図書館デジタルアーカイブス
https://dl.ndl.go.jp/pid/1225975/1/7)
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住所:筑後市大字水田242−1、242−2
開館時間:午前10時から午後5時まで
休館日
- 月曜日(国民の祝日等と重なったときは、その直後の平日)
- 国民の祝日等の翌日(土曜日、日曜日または祝日等と重なったときは、その直後の平日)
入場料:無料
九州の松下村塾、こんな場所があったんですねえ・・
真木和泉守保臣が水田の地に到着した5月17日には
毎年、現地で山梔窩祭が開催されています。





