日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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聖徳太子が作り 空襲の傷跡が残る 鵲森宮(森之宮神社)

 

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(JR森ノ宮駅すぐ近くにある森ノ宮神社)

大阪市のシンボル大坂城は広い敷地ですが、その大阪城の最寄りの駅の1つ・

JR森ノ宮駅の道路を挟んだ向かい側に森之宮神社があります。 

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聖徳太子が作った神社!!)

森之宮神社は、聖徳太子が創建した元四天王寺と言われています。

聖徳太子ですよ!!おどろき!!

 

589年7月、聖徳太子は、廃仏派の物部守屋との戦いにさいし、

この戦いに勝利したら四天王寺を造ることを誓います。

そして勝利を収めた聖徳太子は、四天王寺を創建します。それがこのお寺です。

四天王寺は、その後移転しますが、神社はそのまま残ります。

  

新羅から来た鵲がいた神社)

この森之宮神社は、正式には鵲森宮(かささぎもりのみや)といいます。

日本書紀にも記述されています。

鵲森宮の社名の由来ですが、

推古天皇の時代に新羅に派遣された使者がお土産として2羽の鵲を持ちかえり、

それを難波の杜で飼っていました。」

そのため「鵲の森」と呼ばれ、そのまま社名として定着したそうです。

 

(温泉も有名)

この神社は、かつては大きな寺院で、温泉があったそうです。

今の神社の本殿の近くに「亀井水」発見。

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案内板を見ると・・。

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聖徳太子が発見したそうです・・。

 

また、平安時代清少納言が書いた「枕草子」のなかの

「湯はななくくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」の玉造の湯は

ここだとも言う説もあるそうです。

 

(今も残る戦争の傷跡)

この神社には米軍の空襲の傷跡が今も残っています。

終戦の年の1945年(昭和20年)7月24日に大阪は空襲を受けます。

そのとき、ここ森之宮周辺は壊滅状態になります。

この森之宮神社では鳥居と石の狛犬だけが残りました。

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本殿の右側にある狛犬の台座には空襲の時の機銃掃射で削られた跡が残っています。

近くで見るとよくわかります。

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狛犬台座の裏に次のように刻まれています。  

大東亜戦争ノ為メ青銅製ノ狛犬ヲ献納シテ之ヲ再建ス  昭和十九年七月」

 

神社入り口の鳥居は元禄時代のものだそうですが、爆撃で倒れたそうです。

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【鵲森宮:森之宮神社公式HP】

 

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聖徳太子が作った神社、

大阪城から近いので大阪城観光のときには

立ち寄られたらいかがでしょうか??

 

<<鵲森宮:森之宮神社への行き方>>

JR 大阪環状線 森ノ宮駅下車西側

地下鉄中央線、長堀鶴見緑地線 森ノ宮駅下車7A出口南へ 

住所:大阪市中央区森之宮中央1丁目14-4

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