大阪市中央区森ノ宮にあるJR森ノ宮駅から10分ほど歩いた場所に、
大坂城を作った豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼ゆかりの神社があります。
玉造稲荷神社(たまつくり いなりじんじゃ)です。
(聖徳太子の戦勝祈願)
この神社は、飛鳥時代に、仏教を受け入れるかどうかで仏教派の蘇我馬子と神道派の
物部守屋が争ったときに、聖徳太子がここに陣を敷き戦勝を祈願したとの言い伝えが
あります。
神社本殿は、鮮やかな朱色です。綺麗な作りです。
(豊臣秀頼が再建)
この神社には豊臣秀頼像があります。
江戸幕府が開かれた1603年、豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼により社殿、高殿が再建され
ました。この神社には、豊臣秀頼が神社再建の時に 奉納した石の鳥居があります。
しかし、この鳥居は、1995年(平成7年)に起きた阪神大震災で損傷を受けたために
分割して置かれています。
1615年に起きた大坂夏の陣で社殿が焼失し、同時に秀頼は22歳の人生に終止符を打ちました。太閤の息子として大変な人生だったと思います。
その後も、神社は再建、火災焼失、再建を繰り返しました。
(千利休)
この秀頼の鳥居の右側には、文化人でお茶の千利休の屋敷がこの地にあったことを示す石碑があります。
(胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)
境内には、胞衣塚大明神があります。
ここには秀頼と母・淀殿を結ぶ卵膜、胎盤などの「胞衣」が鎮まっています。
胞衣は、母の体から共に生まれ出だしたものなので、当時では特に神聖なものとして、また秀頼の「分身」として扱われました。
(利休井)
本殿の横、正面から見て左側の狛犬の隣には、利休井があります。
これは、安土桃山時代の茶人の千利休の屋敷があったことに由来します。
(お伊勢参りの出発地点)
この神社は、江戸時代はお伊勢参りをするときに出発点とされました。
その出発点を示す石碑があります。
道中の安全をこの玉造稲荷神社で祈願し旅人は伊勢へ旅立ちました。
当時の玉造は、旅立つ人、見送る人々でたいへん賑わって町には市場や茶店、菅笠屋等の旅支度を整える店が軒を並べにぎわっていたそうです。
大坂城から少し歩きますが、
ちなんだ見どころがある神社です。
是非足を運びましょう!
【玉造稲荷神社公式サイト】
<<玉造稲荷神社への行き方>>
JR森ノ宮駅下車6分
住所:大阪市中央区玉造2-3-8