日本史上唯一、家臣に殺されたと記録されている天皇がいます。第32代の崇峻天皇です。
この崇峻天皇を祀る神社が大阪市天王寺区にありました。
大阪市天王寺区の茶臼山に鎮座する堀越神社。
この神社は、飛鳥時代の593年、聖徳太子が四天王寺建立するときに周囲に配置した四天王寺七宮の一つです。
四天王寺の裏鬼門(南西の方角)にあたり、聖徳太子の叔父にあたる崇峻天皇(すしゅんてんのう)が祀られています。
(日本書紀に記された家臣に殺害された唯一の天皇)
堀越神社に祀られている崇峻天皇は第32代の天皇で、日本史上唯一、臣下に暗殺されたと正史に明記されている天皇です。
血筋としては聖徳太子の父・用明天皇とその妹で日本初の女帝・推古天皇の異母弟です。
朝廷内の蘇我氏と物部氏の対立で戦が起き蘇我氏側に着いた崇峻天皇は、物部氏の滅亡後587年に即位します。
しかし次第に蘇我氏と対立し592年10月4日、猪を贈られた崇峻天皇が猪を指さして「いつかこの猪の首を切るように、斬ってやりたいやつがいる」と発言します。
これが、朝廷内で対立してきた蘇我馬子を暗に指していたとなり11月3日、蘇我馬子が
東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を送り崇峻天皇を暗殺します。
日中に起きたこの暗殺は家臣が即位している天皇を殺害するという大事件で日本書紀にも記されています。
普通、日本書紀や古事記は為政者が後世に書き記すため、極端な話し自分に都合が悪い話は載らないのですが、この崇峻天皇暗殺はきちんと明記されています。
【崇峻天皇暗殺に関しては下をクリックしてどうぞ】
(崇峻天皇殺害で歴史的出来事が!)
この崇峻天皇暗殺は大きな出来事を生みます。
この頃、天皇の地位は兄弟相続が原則でした。欽明天皇の後は、その息子の敏達天皇→用明天皇→崇峻天皇と継承されていました。
しかし崇峻天皇がなくなったあとに、皇位を継承する兄弟がいなくなったのです。
欽明の孫の皇子たちは亡くなっており、ここで血筋敵に近いのは用明天皇の子・聖徳太子です。しかし彼は当時19才で天皇に即位するには若すぎます。そこで敏達天皇の皇后で、馬子の姪である39才の炊屋姫尊が即位し推古天皇となります。日本初の女性天皇の誕生です。
当時は、異母兄弟婚が認められていて 人間関係がややこしいのですがこの推古天皇は第29代欽明天皇の娘ですが、同時に第30代敏達天皇は異母兄で夫でもあります。さらに第31代用明天皇(聖徳太子の父)は同母兄。蘇我馬子は母方の叔父さんです。まあなんとややこしい・・・
この推古天皇の摂政についたのが聖徳太子です。
【聖徳太子摂政就任に関しては下をクリック】
(堀越さんの御神木)
堀越神社の鳥居をくぐって右に大きな木があります。これは「堀越さんの御神木」といわれる樹齢550年のクスノキです。
この木は高さ13メートル幹周り3.2メートル。
幹には菰が巻かれ、「御神木」と書かれた木札が掛けられています。
この楠木は、落雷と大火、さらに大阪大空襲もくぐり抜けてきたそうです。
手前の案内板には「気力が落ちた、疲れたと感じたときにこの御神木にお願いすると
パワーが授かる」と書かれてあります。
(ただし、下の写真が、逆光で案内版の文字が読みにくくてすみません。)
パワーが欲しいおっさんはすぐに手をかざしました。
また、この堀越神社は“一生に一度の願いを聞いてくださる神さま”がおられるらしいです。
【堀越神社公式HP】
<<堀越神社への行き方>>
(1)地下鉄・JR「天王寺駅」から徒歩で10分程度
(2)近鉄「あべの駅」から徒歩で10分程度
大通りに面しているにもかかわらず境内に入ると
厳かな雰囲気に包まれ静かな空気が流れていました。