1月8日は、昭和天皇の馬車に爆弾を投げ込んだ暗殺未遂事件=桜田門事件が起きた日です。
戦前、天皇陛下の暗殺を企てた事件は数回起きています。
その1つが桜田門事件です。
(天皇の馬車に手りゅう弾を投げる)
その帰り道、天皇一行の馬車が皇居・桜田門近くの麹町区桜田町の
警視庁庁舎前に通りに差し掛かった時に、男が飛び出し馬車に手りゅう弾を
投げつけます。
「天皇の馬車に爆弾を投げ込んで爆発させ暗殺しようとする」・・なんとも凄まじい
事件です。
(緻密とは程遠い天皇暗殺計画)
桜田門事件は、時の天皇を暗殺するという衝撃的なこの事件ですが、その割には、
この計画内容がずさんと言うか 計画が甘いというか、トホホなんです。
まず、爆発物の破壊力がたいしたことがない事。爆発した手りゅう弾は、馬車の底に親指大の穴を2.3個開けた程度の威力でした。馬車事吹き飛ばす破壊力とは程遠いものです。
さらに、攻撃目標となる天皇が乗っている馬車が、どこにあるのかも調べることが
できず、結局、近くを通った馬車に、やみくもに手りゅう弾を投げています。
また、犯人は12月28日に、たまたま新聞で天皇が観閲席に臨席することを知ったため
暗殺を思いつきます。ずさんでいい加減。緻密さとは対極です。
そして、犯行当日、馬車が来るまで近所の食堂で酒を飲んでいたために、飲んでいる間に天皇の行列が通り過ぎてしまい、急いで追いかけて現場に駆け付けたという始末。
おっさんは、平成の時代に、天皇のパレードを見に行ったことがありますが、その時の警官の配備やその数、体制などそれはそれは厳重警戒でした。
当時、天皇は現人神だったために、警備は今以上に厳戒だったと想像されます。
犯人は天皇暗殺という重大犯罪をたった一人で思い付きのように行い、簡単に失敗し
すぐにその場で逮捕されました。
(犯人は韓人愛国団の李奉昌)
天皇暗殺を企てた桜田門事件の犯人は、当時の日本の植民地だった朝鮮半島の ソウル生まれの李奉昌でした。
李奉昌は、朝鮮の日本からの独立を目指す金九が組織した反日抗日武装組織の韓人愛国団(大韓僑民団)所属でした。
李は、大酒飲みでズボラな性格だったらしく、なかなか定職に着けず、上海にいたときに日本語が話せるという理由から上海にあった大韓民国臨時政府の関係者を通じて、
金九と知り合います。
戦前、天皇や皇族の殺害は、大逆罪 と呼ばれていて、李奉昌は大逆罪で死刑となります。
韓国では李奉昌を独立運動の義士として独立記念館で顕彰していて、1992年(平成4年)には処刑60周年を記念する郵便切手が発行されています。
この桜田門では、江戸時代末期には有名な桜田門外の変も起きています。
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