日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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12月10日 田中正造、足尾鉱山の鉱毒を明治天皇に直訴  

1901年(明治34年)12月10日、田中正造が、
足尾銅山の惨状を明治天皇に直訴しました。

★今回、ブログ作成に関して田中正造記念館に資料などの協力を頂きました。
有難うございました。

帝国議会開院式の帰路)
1901年(明治34年)12月10日、東京市日比谷において、帝国議会開院式から還幸中の明治天皇に対し、衆議院議員田中正造足尾鉱毒事件について直訴を行いました。

天皇の馬車に近づいた田中は、途中で警備の警官に取り押さえられたために、直訴そのものには失敗しました。

 

しかし、内密にしよとしたものの事件が大騒ぎとなり、新聞の号外が配られ、直訴状の内容が周知されます。
下の写真は、直訴状です。

この騒ぎで、田中は即拘束されましたが、政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にし、田中は即日釈放されました。

当時、現人神の天皇に一市民が直訴をすることは非常に恐れ多いことであり、田中は遺書を書いての、死を覚悟した行為でした。

足尾鉱毒問題)
渡良瀬川の最上流部の栃木県日光市足尾町にある足尾銅山は、かつて日本の産銅量の40%を算出する日本一の大銅山となりました、しかし、同時に足尾鉱毒事件と呼ばれる大きな公害問題を引き起こしてしまいました。
この足尾鉱毒事件は、明治中期以降に発生した日本最初の公害です。

足尾鉱毒問題に尽力した田中正造
田中正造は日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の重鎮で、衆議院議員選挙には6回当選しています。
田中は、その人生のほとんどを費やし足尾銅山鉱毒事件の救済を政府に訴えました。

・・・・ということで
12月10日は、田中正造が足尾鉱山の鉱毒
明治天皇に直訴した日です。