日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡ります。みんなも旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。現在進行形のサクセス「ブログ」を書いて、充実した人生を目指します!

2月26日 2・26事件勃発

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2月26日は、

1936年(昭和11年)、

皇道派の影響を受けた青年将校による

クーデター未遂事件、二・二六事件が起きた日です。

 

軍が反乱を起こし首都を制圧するわけですから、これは大事件です。

2月26日から29日の4日間に起たこの事件は、「不祥事件」「帝都不祥事件」とも

呼ばれていました。この事件には軍のみならず思想家の・北一輝も関係しています。

 2・26事件を告げる当時の大阪朝日新聞記事です。

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(社会背景)

当時は昭和不況、金融不況、そして世界不況、さらに凶作も続き、農村漁村は生活が益々苦しくなっていて、少女の身売りも日常でした。兵士にはそのような農村出身者が多くいて青年将校たちは日本という国の憂うべき実情を身近に感じていました。

当時は、国家社会主義者の北一輝が「日本改造法案大綱」を記し、「君側の奸を倒して天皇を中心とする国家改造案」を説いていました。

この本は昭和維新を夢見る青年将校たちの聖典的役割を果たしていました。

 

(陸軍内の派閥対立)

今回の反乱を起した彼らは、『皇道派』の青年将校たちです。

当時、陸軍内部には、陸軍大学出身とそれ以外の対立がありました。

陸軍将校では、陸軍士官学校 (陸士)止まりの者と、陸軍大学 (陸大)へ進んだ人との間で昇進に関して人事上の大きな区別がありました。

陸大出身者はエリートとみなされ、陸軍省参謀本部、などの中央機関に勤務します。

一方、陸大を出ていない将校たちは参謀への道を断たれいて、いわばエリートコースから外れた存在と言えます。彼らは、青年将校と呼ばれる若手グループを作っていました。

さらに陸軍では「軍部が官僚や政治家と協力し一体化となり軍部中心の国家にしよう」という『統制派』と、「政党や財閥を排除して、天皇中心の国家にしよう」という『皇道派』に真分かれて皇道派は、軍の方針に不満を持っていました。

 

このような陸軍内部の背景があり、待遇や立場的に不満を抱いていた『皇道派』の青年将校が今回の反乱の中心となりました。

青年将校たちは、政治家と財閥系大企業との癒着、政治腐敗、長引く恐慌を打破し、

天皇中心の国家を築く必要がある主張していました。

そして皇道派の真崎甚三郎を内閣総理大臣にするクーデター後の組閣プランがありました。

 

(2・26事件の日は雪)

1936年(昭和11)年2月26日、東京は朝から30年ぶりの大雪に見舞われ、あたり一面は、銀世界でした。

まだ、夜が明けきれぬ頃、青年将校率いる第一師団の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛師団の歩兵第三連隊など、総勢1,473名の部隊が、官庁街を制圧するとともに、岡田首相など次々と政府要人を襲撃します。

 

この反乱で大蔵大臣高橋是清内大臣・斉藤実、陸軍教育総監(陸軍大将)、渡辺錠太郎など、9名が命を奪われ、反乱軍は赤坂山王ホテルの本拠地を置きます。

同時に警視庁や朝日新聞社も襲撃されています。

 

この年は、うるうどしでした。2月29日には都内に戒厳令が布告されて天皇の鎮圧命令で騒ぎは収まりました。戒厳司令部は3万枚のビラを造り、反乱軍に向けて飛行機から反乱軍に向けて投下されました。

下の写真が当時配布されたビラです。

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また、ラジオでは、「兵士ニ告グ」と、何度も何度も繰り返し投降を呼びかける放送をしました。

 

(岡田首相脱出劇)

決起軍は、内閣総理大臣でもあり、予備役海軍大将の岡田啓介の殺害を計画し総理官邸に乱入します。そこで警備にあたっていた4名の巡査や巡査部長と銃撃戦になり銃殺します。

その場にいた総理の義弟で総理秘書官の大佐の松尾伝蔵も殺害されます。

この時、総理と松尾は顔も風貌も似ていたため、総理と誤認され、反乱将校らは首相殺害の目的を果たしたと思い込みました。

しかし、岡田首相は別室にある押し入れに隠れ、その押し入れの前には2人の女中さんが誰も押し入れを開けないようにと盾の役目をしたそうです。こうして岡田首相は命を取り留めました。

しかし新聞やラジオでは「岡田首相殺害」と報道が流れます。

当時の模様を伝えた大阪朝日新聞にも「岡田首相即死」と書かれています。

f:id:reiwa00502:20210207134512p:plainこの時点で、軍もそして世間も「首相が殺害された」と思い込みます。そのため、首相官邸には弔問客が次々と訪れます。

この弔問客に紛れて岡田首相は脱出します。

 

(鎮圧後)

2・26事件は4日間で鎮圧されます。

その後に開かれた軍法会議は、非公開で弁護人なし、上告が許されない一審制でした。陸軍将校、そして思想家の北一輝西田税(にしだ みつぎ)が死刑となっています。

刑の執行は2・26事件から半年もたたない7月12日、場所は陸軍刑務所内でした。

また、反乱に参加した下士官も、「反乱に加担した」という理由からか、満州や南方の戦闘の最前線や過酷な戦場に運ばれたそうです。

 

(2・26事件慰霊碑)

現在、NHK東京本部の向かい側にある渋谷合同庁舎は、かつての東京刑務所で、

この北西部には観音像と2・26事件慰霊碑があります。f:id:reiwa00502:20200214154839p:plain

 ここには毎年2月26日には関係者が集まっています。

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(その後)

2・26事件で襲撃を受けた一人・侍従長鈴木貫太郎は、腹部に銃弾4発を撃ち込まれました。奥さんが、とどめを刺そうとしていた青年将校に必死の命乞いをしたために一命をとりとめました。

その後、鈴木貫太郎は、太平洋戦争時代の最後の首相になり終戦工作にむけ動きます。

 

【2・26事件について知りたいならこちら】

 

 

 

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<<2・26慰霊碑への行き方>>

JR渋谷駅および原宿駅から渋谷区役所を目指して行きます。

渋谷駅から徒歩13分、原宿駅からは徒歩10分程度です。

住所:東京都渋谷区宇田川町1-1f:id:reiwa00502:20200217083348p:plain