12月23日は、1948年(昭和23年)に
死刑判決を受けた
開戦当時の東条英機首相以下7名に対して、
死刑が東京池袋の巣鴨拘置所で執行された日です。
(東京裁判)
東京裁判は、正式には、「極東軍事裁判:英語表記では The International Military Tribunal for the Far East」といいます。
「日本の戦争犯罪・戦争責任を裁判する」という目的で、アメリカ・イギリス・オランダなどの戦勝国が裁判を始めました。
裁判は、太平洋戦争終了後の1946年(昭和21年)5月3日から始まり、1948年(昭和23年)の11月12日に判決が出ました。
判決では、開戦時の首相兼陸相の東条英機以下25名が有罪判決、うち7名が死刑の宣告を受けました。
法廷があったのは、終戦 まで大本営陸軍部が置かれていた東京・新宿区の陸軍士官学校
でした。
(東京裁判で死刑を執行された7人)
土肥原賢二:陸軍大将。満州国建国、冀東防共自治政府設立にかかわり、
日中戦争時では土肥原機関を作った。
武藤章:陸軍中将。東条内閣時の軍務局長で陸軍の権力を握っていた。
捕虜虐待の罪に問われた。
板垣征四郎:陸軍大将。満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣。
広田弘毅:外務大臣や総理大臣を経験。文官として唯一のA級戦犯死刑判決。
木村兵太郎:陸軍大将。東条内閣時の次官で武藤章とともに陸軍の権力を握っていた。
この7名は東京巣鴨にあった「東京拘置所」、このときはGHQに接収され「スガモプリズン」と名称を変えますが、そこに収容されます。
この日・12月23日は、今の上皇で当時皇太子だった明仁親王の15歳の誕生日でした。
(戦勝国が敗戦国を一方的に裁く)
東京裁判は、色々と問題があり、普通に考えても公平な裁判とは言えない裁判でした。
1つ1つ見ていきましょう。
<0>大前提として、戦争は双方の殺し合いであり、それを裁判と言う形で裁くことが
出来るのか?裁判をしていいものか?
<2>太平洋戦争に勝利した連合軍が、戦争に負けた日本の指導者に対し、一方的に裁いた裁判、いわゆる「勝者の裁き」でした。
<3>日本の裁判は、通常三審制で、家裁→地裁→最高裁と3回ありますが、この東京裁判は一審制度、つまり1回だけでした。
<4>裁判を裁く人、いわゆる判事は、全員連合国側の人でした。
敗戦国日本からは判事は1人も選ばれていません。これは裁判として公平とは言えません。
<5> 戦勝国が行った行為、例えば、国際法違反の民間人の大量殺戮である米軍の本土空襲や広島・長崎への原爆投下などに関しては不問にされるなど一方的な
ものでした。
ちなみに原爆が投下された当時、非戦闘員の殺傷を目的とした攻撃を禁じるハーグ陸戦条約があり米国も日本も批准しています。
ということで一般市民を大量殺戮した原爆の投下は、立派な国際法違反です。
しかし、米軍は戦勝国なのでその罪には問われていません。
東京裁判では原爆投下のことが出ましたが不問となりました。
・・・・そうした事実をとらえると、この裁判は決して公平公正とは言えず、連合国が勝者の立場で都合のいいように敗者を裁いた感が否めません。
いわゆる戦争犯罪とは何でしょうか?
戦争自体は殺人行為であり侵略行為です。そうなると戦争をした双方の国が殺人行為や侵略、残虐行為を行ったので、双方の国が裁きを受けるべきです。
しかし、敗者・日本の行為だけが問題視され判決を受け、戦勝国側は、その戦闘行為に関して何も裁きを受けていません。不公平です。
(スガモプリズンの現在)
東条英機ら7人の死刑を執行した「巣鴨刑務所」は1958年(昭和33年)に閉鎖されました。
都市の再開発が進み、1978年(昭和53年)には、サンシャイン60が完成しました。
処刑場跡地は、サンシャイン60の隣にある東池袋中央公園となっています。
<<東京裁判のDVDを見て、
今一度考えたい方はここです>>
当時の国際関係、政治関係、状況、歴史的背景などを考えずに、
昔に起きたことを今現在の価値観で判断するのは危険だと思います。
また、戦争は単純に「いい悪い」で簡単に結論が出せるものでもありません。
確かに戦争や人殺しは、よくありません。
日本軍が犯した行為同様に、連合国の行為も処罰を受けるべきです。
コレが公正な裁判だと思います。
12月23日、東京裁判に関して考えてみてはいかがでしょうか?
感情論や思い込みではなく、何が起きた どうだったかを列挙しながら
冷静に考えて見ましょう。