日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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9月11日、GHQが戦争犯罪人の逮捕を開始、東條元首相はピストル自殺をはかる!

ミズーリ号での降伏文書の調印からわずか9日後の
9月11日、GHQは戦争犯罪人の逮捕をはじめます。
その同日、開戦時の総理大臣だった東條英機元首相は
ピストル自殺をはかります。

(「戦争犯罪人処罰」はポツダム宣言に明記)
ポツダム宣言を受諾し、有史以来はじめて外国の領土になった日本・・・。
日本が受諾したポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日に、ドイツ・ベルリン郊外でひらかれたポツダム会談で、連合国のアメリカ、イギリス、中華民国の名で出された、日本に対する降伏勧告の宣言で、全13条から成ります。

 この第10条をみますと・・・

 十 吾等ハ日本国民ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権の尊重ハ確立セラルベシ

・・とあります。しかしこの文章は漢字とカタカナがいりまじり読みにくいですね。
そこで一部を抜粋し、現代語風に記述しますと、

「吾等(=連合国)の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰加えらるべし」

・・・・と言う一文があるのがわかります。

つまり日本政府がポツダム宣言を受諾したことから、同時に「この10条に合意したと」なり、東京裁判へと続いていきます。

戦争犯罪人を逮捕せよ!)
占領下の日本をおさめるGHQは1945年(昭和20年)9月11日、戦争犯罪人への裁判を行うために、関係者を次々と逮捕します。
その中で注目すべき人物が、太平洋戦争開戦時の総理大臣であった東條英機元首相です。

当日、東條英機は東京・世田谷用賀の自宅に、連行に訪れた連合国軍関係者を待たせている間に、ピストルで自分の胸を撃ち自殺を図ります。

GHQは、「太平洋戦争は侵略戦争であり、その首謀者として東條を処刑する」という計画があっため、「このまま東條を死なせてはいけない」と、すぐに横浜にある米軍病院に運び、ここで最善を尽くした手術と看護を行います。そして東條は奇跡的に命を取り留めます。

 

結局、戦犯として逮捕されたのは、9月11日の第1次を皮切りに第4次まで延べ100人以上にのぼりました。

(A級、B級、C級戦犯とは・・)
また、今回もちいられている戦犯のA級、B級、C級と言うのは、分類上の表記であり、A級がB級より重いというわけではありません。A級は「平和に対する罪」、B級は「通常の戦争犯罪」、C級は「人道に対する罪」です。

東京裁判開始)

翌1946年(昭和21年)年4月29日には、東条英機ら28人が「A級戦犯」として起訴されます。この4月29日・・・昭和天皇の誕生日で、この日に合わせています。
そして5月3日からは、かつて大本営陸軍部が置かれていた東京・新宿区の陸軍士官学校で法廷が始まります。

ちなみに死刑執行は12月23日で、この日は当時の皇太子の誕生日。
なんたる嫌がらせ・・。


東京裁判は勝者が敗者を一方的に裁くという不公平裁判でした。
さらに、この裁判の裁判官は全員が連合国の人間であり、日本人は1人もいません。
また裁判では、連合国軍が起こした空襲や原爆の罪は問われないといった理不尽さも
あります。
そして、なぜか軍人でない文民も絞首刑になっています。


・・・ということで9月11日は、
GHQが戦争犯罪人の逮捕を開始し、
東條元首相がピストル自殺をはかった日です!