コロナ禍の今、大阪市中央区道修町にある少彦名(すくなひこな)神社には、
コロナ終息への願いを込めて多くの人が詰めかけています。
(くすりの道修町)
大阪市中央区道修町は、古来より薬種屋がたくさん集まった場所で、今も製薬会社が
多く「くすりの道修町」と呼ばれています。
下の写真の赤で囲んだ部分です。
正面から見るとこんな感じでビルとビルの間のその奥に神社があります。
御神木が大きいのがわかりますね。
この少彦名神社は、地域の人から「神農(しんのう)さん」と呼ばれ、日本医薬総鎮守で、病気平癒・健康成就の社として信仰を集めています。
(江戸時代に薬の街に誕生した薬の神社)
この神社がある大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代頃から薬種取引の場であり、
薬種業者が集まっていました。
江戸時代になると、清やオランダなど海外からの薬を一手に扱う薬種問屋も店を出します。
そして江戸幕府が、道修町の薬種屋124軒に全国に売りさばく特権を与え株仲間の
「薬種仲買仲間」が結成されました。その場所が、現在の少彦名神社です。
1721年には和薬を検査する和薬種改会所が設けられ、日本で商いされる薬が、いったんはここ道修町に集まったのちに品質と目方を保証したうえで全国に流通するようになります。
このようにここ道修町は日本の薬の流通拠点となりました。
そして1780年10月に薬の仲買仲間の団体組織である伊勢講が、薬業の繁栄と薬の安全を願うために、京都の五條神社から少彦名命の分霊を勧請し、すでに祀ってあった中国の農業と医学をつかさどる中国の神様神農炎帝と一緒に祀ったが始まりです。
また、蘭学者の緒方洪庵が当時日本で流行した天然痘の治療のためにこの町に病院を
開業しています。
(張り子の虎)
上の写真の中央部、拝殿には首振りの張り子の虎が収められています。
江戸時代の1822年に大坂でコレラが流行した時に道修町の薬種仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という虎の骨を使った薬を作り、
「張子の虎」とともに祈願しました。以後「張子の虎」が少彦名神社のシンボル的な
存在としてよく知られるようになったそうです。
(新型コロナ退散祈願御札)
現在2021年(令和3年)は、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るっています。
コロナ以前は、御自身やご家族、ご友人などの病気治癒を祈願するのがほとんどでしたが、コロナ以降はコロナ終焉を希望して参拝する人がほとんどだそうです。
そこで、この少彦名神社では、今回、疫病退散祈願御札を始めました。
これは「張り子の虎」の黄色の布に疫病退散と書き願いを込めた「祈願布」を用意しています。ここに願い事を書き神社の御神木の周りに結び付けています。
(夏越の大祓いを済ませてきました)
皆さん、下の写真を見て気が付きましたよね。
そう、あの輪っかが境内にあったんです。
そうです夏越の大祓いの輪っかです。
そこで夏越の大祓いを済ませてきました。
夏越の大祓いの「茅の輪くぐり」は、1年の半分の罪や穢れを祓う神道の行事です。
「茅の輪くぐり」は、神社の境内や鳥居の下などに、茅で編んだ直径数 m の輪を
作り、これをくぐることで半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に
過ごせることを願うという儀式です。
去年はちょうど時間ができたので、アニメ映画「君の名は。」のエンディングシーンで有名な東京・須賀神社などで参加してきました。
その時の様子は以前ブログに紹介しています。
【少彦名神社公式HP】
<少彦名神社への行き方>
大阪府大阪市中央区道修町2-1-8
TEL 06(6231)6958
地下鉄堺筋線・京阪電車 北浜駅6番出口徒歩1分、淀屋橋駅11番出口徒歩6分
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。】