この前、ツイッターで自分の御先祖様を知るにはどうしたらいいかという話が出て、
おっさんが自身で調べるために体験したことを書いたら、
そのやりとりで多くの人が「いいね」をつけてくれたり「私もやりたい」
「私も実際に取り寄せた」など意見が寄せられて盛り上がりました。
皆さん、自分の先祖を調べることに関心があるようですね。
そこで今回はおっさんが簡単にできたご先祖様を調べる方法を紹介します。
(自分の先祖は・・・)
自分の両親、その上のお爺さんお婆さん、そこまではすぐにわかると思います。
また、人によっては、ひい爺さんひい婆さんまでは、たどり着ける方もいるかと
思います。
でもその先となると、なかなか難しいと思います。
そこで、その先を調べる方法を紹介します。
自分の戸籍がある市役所の戸籍を取得する部署に電話して、
「先祖をさかのぼって調べたい」と相談したらいいですよ。
その手段として、だいたいの場合、除籍謄本を入手すればいいです。
通常、戸籍は代々本籍地がある市役所に管理されています。
戸籍が誕生したのが明治初期なので、空襲や水害などで消滅してなく、かつ戸籍の保存状況が普通ならば150年程度前からのご先祖様がわかるはずです。
(おっさんも5代前まで先祖が判明)
おっさんも実際に除籍謄本を入手しました。
本籍がある市役所に電話で相談し、市役所のHPからダウンロードした申込書と750円の郵便小為替、さらに返信用封筒を同封すれば、済みました。
こうして入手した除籍謄本が下の写真です。
役場によっては書式や書き方が違うかもしれませんね。
ただし、これは個人情報満載なので手を加えたうえでの掲載となります。お許しください。
上記のおっさんが取り寄せた除籍謄本には、
おっさんの爺さん(1890年(明治23年)12月10日生まれ)が戸主(家制度における世帯の代表者)になった時の記載が基準となり、父親(おっさんの曽祖父)、その父親(高祖父)、さらにその父(五世の祖)までさかのぼることができました。
逆に子孫を見ると息子・三男(おっさんの父親)が書かれています。
ですから、これをみると父親、父方の祖父・曽祖父・高祖父・五世の祖までさかのぼることができ、ほとんどの方の名前や生年月日、亡くなった日までわかります。
それによると、高祖父(ひいひいじいさん)は、天保14年7月13日に産まれているのがわかります。
天保14年と言うと江戸時代で1844年です。
1853年には黒船が来て翌年開国、そして二十代半ばに明治維新を迎え、さらに日清日露戦争の時代を生きました。そして1915年(大正4年)に亡くなったことが書かれています。ちょうど日本が江戸時代から明治国家へと駆け抜けていく時代を体験したと思われます。
その前の5世の祖は、生年月日や没日が記載されていませんが、江戸時代末期の方だったのは推測できます。
そのため寛永・享保・天明に続く江戸四大飢饉の一つ、天保の飢饉(1833-1837)を乗り越えている可能性が高いです。
そして注意深く見ると、戸主が通常なら「高祖父から曽祖父、そして祖父」とくるはずなのに曽祖父を飛ばして高祖父から祖父へと受け継がれています。
これは話で聞いたことがありますが、曽祖父が若くして命を落としたためです。
しかし、おっさんまで命のバトンを渡してくれたご先祖様には感謝です。
(さらにその上をさかのぼる場合)
さて役所ルートで判明した先祖よりも、さらに先の先祖を知りたいときは、菩提寺に行き過去帳を見せてもらう方法があります。しかし、この過去帳は昔の書体で書かれていて解読が難しいです。
また おっさんの場合、墓に代々の人の名前、生年月日、死亡日も刻まれています。
ただ、これが多すぎてどういう関係なのか、例えば6世の祖の方なのか、その方の兄弟なのか、いとこなのかなど家族関係がよくわかりません。
ここは、先祖の事に詳しい親戚の人などに、この人がどういう人かを知っているかを
聞かないと、混乱してしまいます。
(インチキ家系図)
おっさんの友人に「俺は平氏の末裔だ、家系図がある」と言う人がいました。しかしここは要注意です。というのは江戸時代に家系図を作る、いわゆるでっち上げのインチキ家系図がある可能性もあります。
その友人の家系図には平氏と書かれていて、彼は「最後は桓武天皇まで行く、つまり俺は皇族の流れをくんでいる」と豪語していました。なんかインチキ臭いなあと思いました。
●家系図に関して面白い本がありましたので紹介します。
自由研究なんかで自分の先祖を調べてもいいかもしれませんね。
そしてどんな時代を生きたのか想像するのもいいですね・・。
・・・というわけで 今回は自分の先祖を簡単に調べる方法でした。
御先祖を調べて、飢饉や戦乱を乗り越え、今まで命をつないでくれたことに
感謝をしましょう!