1889年(明治 32年)6月14日、北野天満宮のすぐ近く、当時の住所で言うと大阪市北区
此花町1丁目79番屋敷(現在の住所では大阪市北区天神橋 1丁目16-12)で、川端康成が生まれます。
生誕の地は、マンションになっています.が、その入口付近には、生誕の碑が建っています
川端の生家があった場所は今はマンションが建てられる以前は「相生楼 (あいおいろう)」という老舗の料亭でしたが、2017年(平成27年)に今あるマンションに建て替えられました。
生誕の碑は大阪天満宮の正門から徒歩1分くらいの場所にあります。
写真右の通りの奥に見えるのが大阪天満宮。左には生誕の碑が見えます。
(ノーベル文学賞受賞)
川端康成は、両親の死後、大阪から茨木市にある祖父母のもとに移り、茨木中学から
第一高等学校、東京帝国大学へ進学しました。
川端康成と言えば「伊豆の踊子」や「雪国」が代表作として知られ、
1968年(昭和43年)にノーベル文学賞を受賞したことで有名ですが、それ以外にも
1948年(昭和23)に日本ペンクラブ第4代会長に就任していますし、
さらに1961年(昭和36年)には文化勲章も受章しています。
(小説「雪国」とは)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
小説「雪国」の冒頭は、有名すぎるほど有名ですが、ちゃんと最後まで読んだ人は
少ないと思います。
おっさんは昔、読んだ記憶があります。
この「雪国」は、清水トンネルを抜けた新潟県の南魚沼郡にある湯沢温泉がモデルに
なった「温泉街での恋愛物語」です。
主な登場人物は、島村、駒子、行男、葉子の4人。
妻子持ちで親の遺産があるために自由に暮らす島村という小説家が、単身ぶらりと汽車に乗り雪国に行きます。
列車の中で島村は男と女に遭遇し同じ駅に降ります。男は行男、女は葉子です。
島村が、この温泉街に来たのは、前年に知り合った女性=駒子と再会するためです。
ちなみに島村が列車で出会った行男は、駒子の踊りの師匠の息子で許嫁、女・葉子は
駒子の知り合いです。
行男は結核でその治療代金を払うために、駒子は芸者になっていました。
(駒子は否定)。
島村は、この温泉宿に長期滞在し、駒子とお互い惹かれます。そして島村が東京に戻る日、行男が危篤になり、やがて死亡します。
その後、島村は、故郷に戻りますが、また温泉街に来ます。その滞在中に温泉街にある芝居小屋が火事で焼け、葉子が死亡します。
・・というのが簡単なストーリーです。
この「雪国」はノーベル文学賞の審査対象になった作品です。
(最後は自殺)
ノーベル文学賞を受賞した川端康成ですが、1973年(昭和47年)4月16日に、なんと
ガス自殺で命を自ら断っています。
<<川端康成生誕の碑への行き方>>
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります。】
・・・ということで6月14日は
川端康成が生まれた日です。