6月15日、1963年(昭和38年)のこの日、
全米ヒットチャートで1位を獲得しました。
(六・八・九が生んだ名曲「上を向いて歩こう」)
「上を向いて歩こう」(うえをむいてあるこう、英題:スキヤキ、SUKIYAKI)は、
作詞が永六輔、作曲が中村八大、歌が坂本九の六・八・九の作品です。
この歌は、アメリカのBillboard誌で、1963年(昭和38年)6月15日に全米1位を獲得し、
現在(2021年・令和3年、6月15日)まで日本人唯一の全米チャート1位を獲得した曲
です。
またビルボード誌の同年1963年度年間ランキングでは第10位にランクインしています。
(日本で爆発的人気!)
この「上を向いて歩こう」は、NHKで放送していたバラエティ番組の「夢で逢いましょう」で1961年(昭和36年)8月19日にTV初登場し、10月15日にレコード発売され3か月で30万枚を突破。
「ミュージック・ライフ」誌に掲載されていた国内盤売り上げランキングでは1961年
(昭和36年)11月から1962年(昭和37年)1月まで3ヵ月連続1位となっています。
この歌で坂本九は1961年(昭和36年)の年末に放送された「紅白歌合戦」に初出場しています。レコード発売から2か月余りでの紅白出場ですから、その勢いがわかると思います。
なお、本曲の間奏で流れる口笛は、坂本九本人によるものです。
(最初は「SUKIYAKA」!)
「上を向いて歩こう」は、1963年(昭和38年)アメリカでの発売が決定します。
歌詞は日本語で、タイトルは「SUKIYAKA」としてキャピトル・レコードから
発売されるはずでした。
ここ重要ですが、よく見て下さい「SUKIYAKA」です。「SUKIYAKI」ではありません。この「SUKIYAKA」というのは曲紹介をする際、歌手の「KYU SAKAMOTO」と日本料理にスキヤキの「SUKIYAKI]の韻を踏ませるためにわざと「SUKIYAKA」と言う具合にしようと計画的に考えた物でした。
しかし、東芝レコードの人が「それじゃあいかん」と説得した結果、発売時には「SUKIYAKI」に訂正されました。
同年5月3日にアメリカでレコードが発売されると、人気が上昇し、6月15日にビルボードの全米ホット100で1位を獲得します。
その後、日本人の歌う曲でトップ40に入ったのは1979年5月にピンクレデイが出した『Kiss In The Dark』が37位に入るまで15年以上もブランクがありました。
「SUKIYAKI」は、6月29日まで3週連続1位を獲得、100位内には14週いました。
またキャッシュボックスのTop 100では、6月15日から7月6日まで4週連続1位のヒットとなりました。
翌1964年(昭和39年)5月15日には外国人としては初めての全米レコード協会のゴールドディスクを受賞しました。
1988年(昭和63年)にはアメリカのテレビやラジオでのオンエア回数が100万回以上の
楽曲に贈られるBMIの「ミリオン・エアー」を受賞しています。
(上を向いて歩こう エピソード)
1962年(昭和37年)春のセンバツ高校野球ではこの年から前年の流行歌を開会式の入場曲とすることにしました。その第1号がこの「上を向いて歩こう」です。
1964年(昭和39年)アジア人初のメジャーリーガーとなったサンフランシスコジャイアンツの村上雅則(マッシームラカミ)は、マウンドに立った時にメジャーのマウンドという事で大緊張をしましたが、このとき「上を向いて歩こう」を口ずさみ落ち着いたそうです。
全日本プロレスでは試合終了後には、城内にこの「上を向いて歩こう」が流れます。
これは団体を作ったジャイアント馬場が全米修業時代にホームシックになるとよく聴いていたためです。
(上を向いて歩こう、いい歌詞です)
この「上を向いて歩こう」は、半世紀以上前にできた歌ですが歌詞がいいですね。
落ち込んだときなんかなぐさめてくれます。さすが永六輔!
私達も生きていれば色んな困難に直面しますが、上を向いて歩いて行きましょう!!
・・・というわけで6月15日は、
「上を向いて歩こう」が全米ナンバー1になった日です。