調布飛行場の東隣にある武蔵の森公園。
住所で言うと三鷹市です。
この公園の中に、太平洋戦争中に作られた掩体壕が今もあります。
今回はその1つ。大沢1号を紹介します。
(掩体壕・大沢1号)
調布飛行場は、太平洋戦争中は陸軍の飛行場でした。
調布飛行場は1938年(昭和13年)に計画され、1939年(昭和14年)に着工。
1941年(昭和16年)4月に南北方向1000mと東西方向700mの2本の滑走路が完成します。
太平洋戦争末期に米軍の本土空襲、特に帝都空襲が本格してきます。
そこで陸軍調布飛行場の周辺には、空襲から戦闘機を守るために飛行機の防空壕=掩体壕が作られました。
今の地図だと、大沢1号は、調布飛行場のすぐ隣にあります。
下の地図で赤丸で囲んだ部分です。
これが、今もその姿を残す掩体壕の大沢1号です。
上記の写真を見てわかるように掩体壕の入り口は閉ざされて、正面側には格納されていた陸軍の戦闘機・飛燕の絵が描かれています。
下の写真は1945年(昭和20年)調布飛行場から飛び立つ飛燕です。
機体の日の丸に白い四角で覆われているのは、本土防空機と言う意味を示します。
(飛燕の模型も)
大沢1号のすぐ近くには実物の10分の1の飛燕の模型が置かれています。
この模型で、飛燕が大沢1号に格納されていた姿がイメージできます。
掩体壕・大沢1号の道路を挟んだ向かい側は、調布飛行場の敷地です。
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