上の写真は戦前の学校に必ず設置されていた奉安殿(ほうあんでん)です。
奉安殿の中には、御真影と呼ばれていた天皇皇后両陛下の写真と教育勅語を安置していて、奉安殿の前を通るときは立ち止まり服装を正したうえで最敬礼をしていました。
(福岡県行橋市で奉安殿に遭遇)
今回、おっさんは海軍築城飛行場関連の施設の現地見学のため福岡県行橋(ゆくはし)市に行きました。
行橋市内にある大型飛行機を格納していた稲童1号掩体壕の施設の片隅に、奉安殿が
移設されているのを偶然見かけました。
奉安殿!!今までその存在は耳にしていましたが実物を見たのは今回が初めてです。
(奉安殿は昭和10年頃から普及)
1890年(明治23年)御真影と勅語の各学校への下賜が行われます。
そして奉安殿の建設は1935年(昭和10)以降に全国的に広まります。
奉安殿の大きさは奥行85cm、高さ1.5m、幅1.2m以上とされ、壁厚25cm以上の鉄筋コンクリート造で、二重扉の耐震耐火構造と定められていました。
奉安殿は、校舎内や、校舎外に作られましたが、火事など緊急事態発生の時にすぐに持ち運びができるようにと校長室や職員室、宿直室などに近い位置に設けられることと
されました。
さて、行橋の奉安殿の話に戻ると、この奉安殿は、1927年(昭和2年)に旧仲津小学校に建てられたもので背面に「昭和二年建立」と彫られていました。
(この奉安殿が建てらえた昭和2年とは・・)
仲津小学校に奉安殿が建てられた昭和2年=1927年はどんな時代だったでしょうか?
前年1926年12月に大正天皇が崩御し、年号が昭和になります。
1927年(昭和2年)の総理大臣は、若槻礼次郎から田中義一です。
この年は3月に孫文がなくなり7月には芥川龍之介が自殺します。
経済は不況で4月には大正時代に三井三菱を抜き日本一の総合商社になった実績がある鈴木商会が倒産します。
【鈴木商店について書いたブログはココ】
12月30日に初の地下鉄が上野ー浅草間に開通します。
またモダンガールの略のモガ、モダンボーイの略のモボが流行します。
(終戦で奉安殿廃止)
終戦の年の12月15日にGHQから出された神道指令で奉安殿の廃止が決定します。
それに伴い全国の小学校から奉安殿を撤去する指示が出ました。御真影は焼却され奉安殿そのものの多くは解体されました。
しかしながら、解体を免れた奉安殿は現在でも全国各地に少数ながら残っています。
今回取り上げた仲津小学校の奉安殿は、破壊させることなく仲津村青年団・少女会に
よって持ちだされ山の中腹に置かれた後、歴史的資料としてこの場所に移築されました。
すぐ隣には稲童1号掩体壕がありますので、これも見て下さい。
<<奉安殿への行き方>>
住所: 福岡県行橋市稲童1095-17
かつて全国の学校に置かれていた奉安殿が、
今も歴史の証人として残っています。