太平洋戦争末期、米軍は日本各地を空襲しました。
空襲時に日本の戦闘機を米軍から守るために隠しておく格納施設=「掩体壕(えんたいごう)」が、各地の飛行場周辺に作られました。
いわば飛行機の防空壕と言った感じです。
(帝都の空の守り)
帝都・東京には1941年(昭和16年)調布飛行場が設置され、同年8月には陸軍専用の
飛行場として使われました。
ここに帝都防空の拠点として「飛行第244戦隊」が置かれ、陸軍の三式戦闘機「飛燕」などが配備されました。
そして陸軍調布飛行場の周辺には、130基もの掩体壕が設置されました。
しかし、その多くは戦後に取り壊されました。
(調布飛行場の掩体壕は4つだけ現存)
陸軍調布飛行場の周辺に現存している掩体壕は、府中市と三鷹市に2基ずつ、合計4基
だけだそうです。うち1つは個人所有で非公開。
その1つ、東京府中市の西武多摩川線と甲州街道が交わる地点・住宅地の橋の下に
かまぼこ上に見えるのが、ソレです。付近の住宅と比べると広いですねええ。
ここに戦闘機・飛燕が格納されていました。
隣にある橋の上から掩体壕の後姿を撮影しました。
バイクや人が歩いているので、その大きさがわかると思います。
これだと空から見たら、何が何だかわからないと思います。
(白糸台掩体壕)
白糸台掩体壕は、鉄筋コンクリート造りのドーム型で、入口の幅は12.3メートル、
高さ3.7メートル、奥行き12メートルのつくりです。
厚さ約57センチメートルのコンクリート屋根があります。
掩体壕の近くにまで近寄ることができます。柵で覆われているので、中には入ることはできませんでしたが、中はこんな感じです。
砂利敷きで、排水のための溝が設置されていたことがわかっています。
屋根になっているコンクリートは分厚く頑丈でした。
この中に陸軍の三式戦闘機「飛燕」(翼長2.0メートル、全高3.7メートル)が格納されていました。
B29は空襲の際、高度1万メートルを飛行しますが飛燕は残念ながら1万メートルまでは
飛行できませんでした。そこで装備をなくして機体を軽くし、なんとか1万メートル
まで行き、B29に体当たりで撃墜するという方法を何度も行っています。
震天制空隊という名称の部隊として帝都の空を守っていました。
白糸台掩体壕での飛燕の収納は、こんな感じです。
太平洋戦争が終結して70年以上が経過しても、当時の名残を伝えるものが、
まだ首都東京に残っています。
これらを歴史にうずもれたままにしないで、発見し紹介し伝承できればと思います。
<<白糸台掩体壕行くには>>
最寄駅:西武線白糸台駅から徒歩約7分
京王線武蔵野台駅から徒歩約10分
最寄バス停:白糸台2丁目から徒歩約5分
住所:東京都府中市白糸台2の17
【この地図の左下にある四角い写真をクリックすると航空写真に変わります】
戦後半世紀以上経過しても首都東京に残る掩体壕、
是非ご覧ください