ライト兄弟の飛行より100年以上前。日本で空を飛んだ男が岡山にいました。
記録に残る空を飛んだ最初の日本人ではないかと思われます。
「世界で初めて空を飛んだ男」という記述もあります。
彼の名は、鳥人幸吉。
浮田幸吉、表具師幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎とも呼ばれます。
幸吉は、江戸時代中期の1763年に、岡山県玉野市八浜に生まれます。
表具師として働く傍ら、鳥の空を飛ぶ仕組を研究し、「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出し、それに相当する翼を人間の体につければ空を飛べるはずだ」と考え、そのメカニズムを熱心に考えます。
幸吉は、本物の鳥を生け捕りにしては翼と胴体との比率を測ったりして、鳥の飛び方の観察を続けます。
また表具師としての技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作するなど試行錯誤をり返します。
そうして、幸吉はグライダーのような翼を完成させます。
1785年の8月21日、幸吉は岡山を流れる旭川に架かる京橋の欄干に立ちます。
そのとき、彼は全長9mのグライダーのような飛行装置を身にまとっていました。
彼は欄干に立って絶好の風を待っていました。
やがて、橋の下から吹き上げる風が来たとき、その風にあわせて欄干を蹴り、空中に舞い上がりました。
空中に舞い上がった幸吉は、風に乗り夏の夕闇のなか数十メートル飛行することに成功しました。その時から彼は『鳥人幸吉』と呼ばれます。
これは同じようなグライダーで空を飛んだドイツのオットー・リリエンタールやライト兄弟の動力飛行などより100年以上も早い快挙で、記録に残る日本で初めて空を飛んだ最初の人です。
「世界で初めて空を飛んだ男」という表現をする書物もありますが、このへんは、
あいまいです。
ただし時代が早すぎました。
当時は江戸時代、人が空を飛ぶなんて誰も想像もできない時代です。目撃した人々は、「天狗が飛んできた」「鳥人間が空から降りてきた」など大騒ぎして現場はパニックになったのは想像できます。
この出来事は菅茶山(かん・ちゃざん)という儒学者兼漢詩人が、当時の出来事を記録した『筆のすさび』という文書にも書かれているそうです。
岡山で空を飛んだ幸吉は、人々を惑わす輩として騒乱の罪で捕らえられ岡山を追われてしまいます。
その後、幸吉は駿河の府中(現・静岡県静岡市)に移り住み、雑貨商「備前屋」を
開業しつつ副業として入れ歯作りや時計修理を行っていました。
そして、ここでも51歳の時、飛行に挑戦し、安倍川上空を数十秒滑空したともいわれます。
これがもとで駿府でも騒乱罪で追放となり、静岡県の磐田市にうつり飯屋を営みます。
そして1847年8月21日に90歳でなくなります。
幸吉の墓は静岡県磐田市見付にある大見寺の墓地にあり、お寺の過去帳にもその名が
記載されています。
またお寺には、幸吉の制作したグライダーの復元模型が飾ってあります。
空中を飛んだ男・幸吉の話は、戦前の国語の教科書にも
載っていました。
(鳥人幸吉関連HP)
【国土交通省岡山河川工事事務所が制作した
「岡山シティミュージアム」HPの幸吉の記事】
文字化けしていますがクリックするとちゃんと行きます。
【表町商店街HP 鳥人・幸吉が奉公した紙屋】
【磐田市市民活動センターHP 幸吉の記事】
8月21日は、鳥人幸吉が空を飛んだ日です