この少女の銅像。。なんか淋しさを感じませんか・・・
これは、童謡・赤い靴の女の子の像です。
童謡 赤い靴・・・なんとも悲しい歌です。
赤い靴♪ はいてた♪ 女の子♪異人さんに連れられて行っちゃった・・・
なんとさびしい歌詞でしょうか。そして、切ないメロディ・・・
聞いた後、凄く悲しくなります。。。
この童謡「赤い靴」は、1922年(大正11年)年に、作詞:野口雨情・作曲:本居長世の制作で発表されました。
(横浜山下公園にある像)
非常に切ないメロディと悲しい歌詞のこの童謡・赤い靴にゆかりの像は、横浜市の山下公園にあります。
この像は1979年(昭和54年)11月に建てられたもので、少女が膝を抱えて座っています。
この歌の2番に、♪横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)の乗って 異人さんに連れられて 行っちゃった・・・ とあるので、ここ横浜港に建てられたのかもしれません。
そしてこの表情!! 凄くさびしそうに感じませんか??
(童謡:赤い靴のモデルがいた)
童謡「赤い靴」の女の子にはモデルがいました。
明治の後半、生活のために北海道に渡ることになった母親が、北海道での厳しい生活を考え2歳になった我が子をアメリカ人宣教師夫妻に託します。
やがて宣教師夫妻に母国から帰国命令が来ます。しかし、このとき少女は不治の病に
かかっていたため一緒に渡航できず宣教師夫婦は、女の子を孤児院に残して旅立ちます。
そして女の子は9歳の短い生涯を終えたといいます。この少女が童謡:赤い靴のモデルだそうです。
なんとも悲しいストーリーです
(推測、童謡「赤い靴」)
しかし、童謡「赤い靴」を独自の見解で解釈する人もいます。
♪異人さんに連れられて 行っちゃった・・なんと衝撃的な歌詞でしょうか!「異人さんと一緒に行っちゃった」ではなく「連れられて」と言う言葉を使うのがキツいですねえ。
歌を世に出すには何らかのメッセージがあるはずです。
歌を通して何かを主張する、、そういう意図があるはずです。
では、この妙にさびしい童謡:赤い靴を考えてみましょう・・。
童謡・赤い靴ができたのは大正時代。。日本が開国して100年もたっていません。文明開化や欧米の文化や産業を伝えた外国人が、まだまだ時代的に日本で大きな顔をしていたはずです
つまり、この歌を当時の背景を考えて別の見方で解釈すると、金持ちの異人さんが金に物を言わせ幼女を買ってそのまま異国に連れて行った。
そして、見知らぬ地でその女の子は金持ちの異人さんの慰め者になった、あるいは臓器売買??・・ああ哀れな人生、。。
この歌は、金持ちの悪趣味の道楽=少女売買の意味を含んでいる・・そう解釈する人もいました。
なんとも悲しい・・・。
【東京湾観光情報局HP 赤い靴はいてた女の子像】
<<童謡:赤い靴の歌碑への行き方>>
なんともさびしい童謡・赤い靴。
それにちなんだ銅像の女の子は、
今も横浜山下公園で港を見つめています。