大和の西玄関・王寺町の総鎮守・王子片岡神社。
王寺小学校のすぐ西側にある、朱色の鳥居の神社です。
(王寺町の総鎮守)
片岡神社は、奈良県北葛城郡王寺町の総鎮守で、 平安時代 に書かれた 法制書 である「新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)」には806年に片岡神社の農民のことが出ているそうです。
(雨乞いの神様)
また、この神社では、祈雨の祭祀が行われていたようで、雨乞いの神としても朝廷からの崇敬が厚かったようです。「延喜式」臨時祭の祈雨神祭八十五座の一座に含まれ、「三代実録」貞観元年(859年)九月八日の条には、風雨のために祈ったことが記されています。
雨乞い・・・当時の農業は、日照りなどの気象に今以上に大きく左右されていました。
日照りが何日も続くと水不足になり、米や野菜と言った農作物の生育及び収穫に大きな影響をもたらしていましたし、食べ物が枯渇することは命にかかわる重大事項です。
そのため、雨乞いの神様は重宝されていたと想像できます。
(江戸時代に現在の地に)
片岡神社の名は、927年に完成した「延喜式」の神名帳には名神大社に列せられていました。
社伝では、最初は大峰と呼ばれる地にありましたが、字張井、さらに門前と三回、遷座したと伝えられています。
現在地へは江戸時代の天保の時代、1843年に遷座したと伝えられています。
そして1909年(明治42年)には、大田口にあった金計神社、中村にあった大原神社、
門前にあった住吉神社を合祀し、現在では王寺全体の総鎮守として祀られています。
【案内板】
古くは元町大峰の東北端に鎮座していたそうです。
「新抄格勅符抄」に大同元年〈西暦八〇六年〉のこととして片岡神の神戸(封戸、昔神領に付属して租、庸、調を神社に納めていた農民)のことが出ているそうで、その頃既にこの神社が成立していたことを示しています。
また「三代実録」には、貞観元年〈西暦八五九年〉正月、正五位下に昇叙されたことがでています。
この社は、法光寺の鎮守社ともいわれ、本殿向かって左方には大原神社、金計神社ほか計四社がまつられています。
社伝によると風雨の神として尊信せられ正暦五年(西暦九九四年)には、疫病や天変地異が続いたため、中臣氏人が宣命使となって救済を祈願して奉幣したといわれています。
【王寺町公式HP 片岡神社】
<<王寺片岡神社への行き方>>