日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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川口市の総鎮守 川口神社  

鋳物の街として有名な埼玉県川口市
JR京浜東北線川口駅から歩いて10分ほどの場所に
川口神社があります。川口市の総鎮守です。

 

川口市の総鎮守:川口神社)
川口神社は、川口市の中央・幸栄・並木地区13町村の氏神です 。

この神社は、平安時代の940年頃に創建されたと伝えられていて、当初は「氷川社」と呼ばれていましたが、江戸時代には「氷川大明神」と呼ばれていました。神社には、室町初期の古神像、江戸期の棟札等が残されています。

明治時代には、町内の神社を合祀して、社名を「川口神社」と変え、川口市の総鎮守となりました。

 

鳥居も立派。

 

門も立派。


本殿も立派です。

(鋳物業の発祥)

川口と言えば鋳物業です。川口神社の拝殿手前左側には金属製の案内碑があり、鋳物業の発祥について説明が書かれていました。

【全文】

*川口宿と鋳物業の発祥

鎌倉時代の大納言源雅忠の娘が書いた『とはずがたり』には、現在の川口にあたる「小川口」の情景が描かれています。当時このあたりは、鎌倉街道中道が通っていました。そして江戸時代、日光御成道が整備され、岩淵宿につぐ川口宿が成立しました。

江戸時代後期の『遊暦雑記』には「この駅の南 うら町筋に釜屋数十軒あり、但し鍋のみの鋳家あり、釜のみ作る舎あり、・・・」と書かれており、当時現在の裏町通り沿いに鑄物屋がならび、鍋・釜・鉄瓶といった日用品を製造していた様子が記されています。川口鋳物は、室町時代末期にはすでに行われていたようですが、鋳物に適した砂や粘土がとれたこと、この街道や荒川と芝川の舟運、江戸という大消費地に隣接していたことなどの要因によって盛んになっていきました。

 

日露戦争で戦った方の像が!)
この川口神社の境内には、川口護国神社があり、そこには日露戦争の旅順閉塞作戦に参加した海軍平兵士の方の像がありました。


この川口神社、

初詣や神事の時は大勢の方で、にぎわうそうです。

 

<<川口神社への行き方>>

JR京浜東北線川口駅東口から徒歩で10分程度

住所:埼玉県川口市金山町6-15

 

 

こじんまりとしていますが、境内も広く立派な神社でした