飛行機が空を飛ぶよりも早く、気球や飛行船が大空を開拓しました。
今回は、気球や飛行船を研究し、日本の空を開拓した
航空界の先駆者・山田猪三郎を紹介します。
(気球や飛行船の研究に生涯を捧げた山田猪三郎)
山田猪三郎(やまだ いさぶろう)は、幕末の1863年に現在の和歌山市に生まれます。1897年(明治30年)から気球の研究を行い、私財のほとんどを気球や飛行船の研究に
費やします。
(旅順港偵察で活躍)
山田猪三郎は、1900年(明治33年)に、日本で初めて円筒型係留気球を発明します。
これが陸軍に採用され「日本式係留気球」と名付けられます。
この気球は風圧に対する抵抗力が強いために揺れが少なく当時の欧米の気球よりも優れていたとも言われています。
1904年(明治37年)に日露戦争が始まると、この気球は、2個が旅順攻略のときに偵察用として使われました。
旅順港は山に囲まれており、日本軍はその様子を知ることができませんでした。そこで気球を上げ、地上からつないだロープを高さを調整し、気球につながっていた籠に乗った兵士が望遠鏡で観測して状況を伝えました。
(出典:航空五十年史51ページ:昭和18年出版・デジタル国会図書館:
https://dl.ndl.go.jp/pid/1059374/1/51)
(係留なしの自由飛行に成功!)
山田猪三郎は、1907年(明治40年)に品川区大崎に飛行船製作工場を建設します。
そして1910年(明治43年)に全長30m、総体積1,000㎥、自動車用14馬力のガソリン・エンジンを搭載した山田式1号飛行船を完成させます。
そして、9月8日に品川区大崎の気球製作所から駒場までの7キロを、係留なしの自由飛行を成功させます。
これが日本における国産飛行船による初の飛行です。
(帝都周遊飛行も成功)
翌年には、さらに改良を加えた第3号飛行船を作成します。第3号飛行船は、容積1600立方メートル・125馬でした。
そして9月17日大崎から品川、お台場を巡る総飛行距離20キロの帝都訪問飛行を行います。この飛行で、東京にいた人々は人が東京の上空をゆっくりと飛行する巨大な飛行船を見て驚きます。(なお、この日を9月20日とする説もあります)
山田猪三郎は、2016年(平成28年)に開催された国際航空連盟の国際気球委員会の総会で、日本航空界の先覚者としての功績が認められ殿堂入りを果たしました。