日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

普通の会社員の“おっさん”が、パワースポットや史跡、戦跡を巡った記録です。旅行に出かけるときの参考にしてね! 史跡や歴史から学び 運気を上げて、“人生大逆転”を狙います。

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10月1日、ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物と紹介された二宮忠八が「玉虫型飛行器」の縮小模型(翼幅2m)を作成

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/1 デジタル国会図書館

 

1893年明治26年)10月1日、
二宮忠八が「玉虫型飛行器」の縮小模型を制作しました。
それは日本の空に革命が生まれた瞬間でした。

航空史には「ライト兄弟が飛行機を発明した」
という偉大な出来事があります。

しかし、日本にはライト兄弟に先がけ、
飛行機の可能性を追求した二宮忠八がいました。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/8

デジタル国会図書館

(第1章: カラスの謎)

きっかけは1889年(明治22年)11月に、二宮忠八が所属していた香川県の丸亀歩兵第十二連隊第1大隊での出来事でした。
昼食中、彼は滑空するカラスに目が行きます。そして空を飛ぶカラスが羽ばたいていないことに気付きます。それが、彼の未来への航空への情熱の端緒となりました。


忠八はカラスの飛行に興味を持ち、翼で向かってくる風を受けとめることができれば、羽ばたかずとも飛行できるのではないかと考えます。

そして、1891年(明治24年)4月29日に「羽ばたかない」ことを形にした烏型模型飛行器を作成させ、丸亀練兵所で飛ばします。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/7

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忠八が作成した飛行機は、ライト兄弟の初期の飛行機とは異なるデザインです。
聴診器のゴム管を使った四枚プロペラでした。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/7

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また、この飛行器は、車輪を備えています。ちなみに人類初のライト兄弟の飛行機には車輪がありません。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/7

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(第2章:玉虫型飛行器)

1893年明治26年)10月1日には、有人飛行を前提にした飛行機「玉虫型飛行器」の縮小模型(翼幅2m)を作成します。
ちなみに、この時期は、西洋の飛行機開発の情報などがほとんど手に入らない時代であり、忠八は独学で研究し、この形や仕組みを考えつきます。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/8

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(第3章:孤独な研究者の挑戦)

その後も、忠八位は、飛行機の可能性を信じ、陸軍に飛行機の開発及び研究の協力を要請しました。しかし、当時は明治半ばで、日本では飛行機についての理解が低く、資金も乏しく、支援者もいません。
そこで彼は退役して、就職し、研究のための資金を工面し、ついに1900年(明治33年)に京都府八幡市に居を構え、30歳代半ばで飛行機の制作をようやく再開します。

 

(第4章: 悲劇の瞬間と新たな使命)

1903年明治36年)12月17日、飛行機の研究に没頭する忠八のもとに「アメリカのライト兄弟が飛行に成功した」という情報が届きます。
この衝撃的な知らせに、忠八は自らの研究を諦め、飛行機開発から身を引きました。

落胆する忠八。しかし彼は新たな使命を見つけました。神官の資格を取得し、1915年(大正4年)に京都府八幡市の自宅に私財を投じて飛行神社を創建し、飛行機事故で亡くなった人々を追悼しました。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版: https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/6

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(第5章: ようやく認められた功績)

やがて、忠八の研究と功績は認められ、1927年(大正15年)5月25日に、帝国飛行協会総裁の久邇宮邦彦王から 有功章を受章し、国定教科書に取り上げられるようになりました。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版: https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/5

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(第6章:「ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見」)

忠八の死から18年後の1954年(昭和29年)、英国王立航空協会は忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、忠八を「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介しています。

さらに1991年(平成3年)には、彼の機体にエンジンが載せられ飛行実験が行われました。そして忠八の飛行器は200mの飛行距離をだします。ライト兄弟の初飛行の36mの6倍近い距離を飛んだのです。忠八の構想は間違っていなかったのです・・・。

 

生涯を通じて航空の可能性を信じ夢を追求した
日本の航空のパイオニア二宮忠八・・・
その名前は決して忘れ去られることはありません。

(出典:「二宮忠八伝」昭和19年出版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1718937/1/1 デジタル国会図書館

 

今回は、1944年(昭和19年)に発行された
二宮忠八伝」を参考にさせてもらいました。
デジタルで無料で読めます