日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

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空中戦の最中に敵飛行場に強行着陸し、敵機を破壊した小野了

日中戦争中、
「敵飛行場上空で空中戦が起きている最中に
敵の飛行場に強行着陸し、敵機を破壊」という
凄まじい行動をした海軍の戦闘機乗りを紹介します。
(敵飛行場上空で日中空中戦)
日中戦争当時の1938年(昭和13年) 7月18日、日本海軍の第十五航空隊が、安慶飛行場を出撃し、南南西に250キロ離れた南昌にある中国軍の飛行場へと爆撃にむかいます。

朝7時15分、日本軍が敵飛行場への爆撃を開始すると、中国軍航空機が迎撃を始め、
南昌上空で日中航空戦が始まります。
(九六式艦爆
この時の日本軍の主力戦闘機は、九六式艦上爆撃機、通称九六式艦爆です。ご覧のように複葉機、固定式脚で、操縦士と偵察員の2人乗りです。

この九六式艦爆はこの日合計14機が出撃します。その1機、小野了(おの さとる)二等航空兵曹が操縦し、後ろの席で山地徳良一等航空兵が偵察員をつとめる九六式艦爆が中国軍の飛行場を機銃攻撃しようとししますが故障して玉が出ません。

(戦闘中に敵飛行場に強行着陸!)
小野機は、敵飛行場の滑走路に着陸します。なんと戦闘中に敵の飛行場に着陸したのです!!
このまさかの日本軍機の敵飛行場への着陸に対し飛行場にいた中国軍はあっけにとられたのか、攻撃してきませんでした。
飛行場に敵機が置いてあるのを発見した小野了二等航空兵曹は、山地徳一等航空兵に「敵が来たら銃で撃って援護してくれ」というと、九六式艦爆から降り、敵の飛行機に拳銃を打ち込み炎上させます。(燃えなかったという説も有り)

小野了二等航空兵曹が九六式艦爆に戻り離陸しようとしたとき、もう一機、別の九六式艦爆が着陸してきました。
この九六式艦爆には徳永有二等航空兵曹と別宮利光一等航空兵が乗っていました。この徳永機は、小野機が故障で不時着したと思い救出のためにやってきたのです。小野機の無事がわかると2機の九六式艦爆が離陸します。
(再度着陸)
離陸し帰路に向かおうとした小野ですが、飛行場にソ連製のポリカルポフI-15戦闘機があるのを発見します。
そして小野は再び飛行場に着陸します。
そして拳銃を発射するとI-15の機体から燃料が漏れますが、発火しません。
そこで小野は、山地からマッチをもらうと自身のポケットに入っていた航空地図のうち、不要な部分に火をつけて、ガソリンの中に投げ込みます。すると爆発し敵機は炎上します。
こうして小野機は、敵飛行場から離陸し無事基地に生還します。

なお、小野機、徳永機以外にも中国軍のこの飛行場に強行着陸をして破壊活動を行った機があります。この1日で4機が強行着陸し敵機5機を破壊し、いずれも無事基地に生還しています。


この活躍で7月20日には支那方面艦隊司令長官・及川古志郎中将より「残存敵機5機を償却し、所在敵機を壊滅したるは武勇抜群なり」との感状をもらい、また参謀長・草鹿任一少将からは銀製の艦爆の模型を贈られました。

 

戦闘の最中に、敵の飛行場に強行着陸し、
攻撃を加えた飛行機乗りがいました。